「おはよう、さん」
「あ、おはよう、大石」
部室の整理整頓をしていたとき、大石がやって来た。
「……っと、部長代理って呼んだ方がいいの?」
あたしが冗談交じりにそう言うと、
「君に任せるよ」なんて言葉が返ってきた。
「それにしてもさん、ずいぶん早いんだね」
練習が始まるまでには、まだずいぶんと時間がある。
いつもなら鍵当番の大石が最初に来るんだけど、
今日はあたしの方が早かった。
(ちなみに、あたしも一つ合鍵を持たせてもらっている)
「うん……
なんか、ちょっとはりきりすぎちゃったみたい」
朝もなんだか早くに目が覚めてしまって。
ぼーっとしていても仕方がない、と思ったあたしは、
部室の掃除でもしようかと、こうして早くに登校したのだった。
「そっか……いつもありがとう、さん」
「大げさだよ。
みんなの頑張りに比べたら、あたしなんて全然」
先日行われた関東大会・氷帝戦……
やはりと言うべきか、相手もかなりの精鋭ぞろいだった。
それでもその一戦を勝利で収め、
次の試合へと駒を進めることが出来た。
それはやっぱりみんなの力あってこそで、
ただのマネージャーでしかないあたしは、
見守る以外に何も出来なかった。
「そんなことない。
君の存在は、みんなにとっても大きいと思うよ」
「そう、かな……」
「ああ。
手塚もきっと、君を頼りにしていたはずだから」
「…………」
あたしは大石のその言葉には答えず、
窓越しに見える空に目を向けた。
『明日から九州へ行く事になった』
竜崎先生がみんなに伝えるより先に、
彼はあたしにその事実を教えてくれていた。
……だけど、気を抜いたら取り乱してしまいそうで。
そのときのあたしは、平静を装うことばかり考えていた気がする。
『え、と……治療のため、ってことかな』
『そうだ』
もともと口数の少ない彼だ。
少なからず言いづらかったのか、端的な説明しかなかった。
本当はもっと、言いたいことだってたくさんあったんだけれど。
それ以上余計なことは言わず、「そっか」と口にした。
彼が抜けたその後、部活は……部員のみんなは、どうなるだろうか。
大石も心配していたことが、あたしも気になっていた。
だけど、そんな心配もいらなかったみたいだ。
彼の穴を埋めようと、部員みんなが一丸となっていて。
そんなみんなを見て、大石もほっとしていた。
そこに居なくとも、みんなを突き動かしている。
そんな彼の存在の大きさに、
なんだか言い表せない気持ちになった。
『今日は、不動峰との練習試合を組んでいるんだ。
時間の少し前に来てくれるだろうから、よろしくな』
『うん、了解』
心配性な大石でさえ、もう前を見据えている。
もちろん他のみんなだって、前に進むことだけを考えている。
……だったら、あたしも負けてられないじゃない。
一人だけずっと落ち込んでいるわけにもいかないよ。
あたしに出来ることは、限られているけれど。
それでも、出来るだけのことをやろう。
そう、決意したのだった。
「……っと、掃除もこの辺にしとこうかな」
そろそろ練習の準備を始めないとね、なんて言うと、
もうそんな時間かと思ったのか、大石も「こりゃ大変」と少し笑った。
「おはよーん、ちゃんに大石ー!」
そんなとき、一人部室に勢いよく入ってきた。
――言わずもがな、ムードメイカーの英二である。
「おはよう、英二」
「うん、おはよー!」
「英二……あんまり慌てて入ってくると、危ないぞ」
「だって早くテニスしたくってさ!」
話を聞いてみると、今日割った卵に黄身が二つ入っていて。
それで気分が良くて、早く練習したいって思ってるんだとか。
「ごめんね、英二。
まだ練習の準備してないの」
まさかこんなに早く来るとは思わなかったから、と、
あたしは英二に謝る。
「気にしなくていいよん、ちゃん」
じゃあ俺も準備手伝うから!と、
変わらずのテンションで答えてくれた。
「……まったく、英二はいつも落ち着きがないな」
ため息をついてそう言った大石。
だけど、表情は優しい。
「じゃあ、準備してくるね……大石部長代理」
「ああ、頼む」
既にコートに向かった英二を追いかけ、あたしも部室を出た。
「さん、桃と越前を知らないか?」
――英二が来てから、少しして。
他の部員もほぼ全員集まってきていて、
練習開始前にみんな軽い打ち合いをしていた。
そんな中、姿が見えない二人を部長代理は探しているらしい。
「ううん、今日はまだ見てないけど」
「そうか……」
二人とも遅刻だな、と、
あたしたちの中で無言の会話がなされる。
「……とりあえず、そろそろ時間だから練習を始めるよ」
「うん、了解。
桃とリョーマのことは任せて」
「ああ、悪いな」
さてと……
「二人がどのくらいの遅刻でやって来るか、だね」
規律を乱すということを、厭う彼だから。
ちょっとかわいそうかもしれないけれど、厳しくしないと。
そう意気込んでいたとき、タイミングがいいというのか、
噂の二人が大慌てでやって来た。
「完璧に遅刻っスね、桃先輩」
「言ってる場合じゃねーよ、越前!」
なんとかバレないように混ざれないか、なんて桃が言うけれど。
……世の中そんなに甘くないということを、教えてあげないと。
「おはよう、桃、リョーマ」
「ゲッ、さん!?」
そんな二人の前に、立ちはだかるようにしてやると。
見つかった、という顔をしながら、二人はあたしを見た。
(それにしても「ゲッ」っていうのは失礼だよね)
「はよっス、先輩」
「うん、おはよう」
リョーマは既に観念しているのか解らないけれど、
特に取り乱すこともなく淡々としている。
「ええと……二人とも、7分の遅刻ね」
思ったよりは早かったかな。
……けど、たった7分と言えど遅刻は遅刻。
「規律を乱すことは許しません!
二人ともグラウンド30周!!」
「は、はい!」
「……行ってきます」
二人は荷物を置いて、
来たときと同じように大慌てでグラウンドを走り出した。
「はー、まさかさんに見つかるなんて……
せめて大石部長代理だったらなぁ」
「っていうより、
大石部長代理が先輩を仕向けたんじゃないスか」
「それはあり得るな……
ボーリング以来、なんかキャラがおかしいし」
「ん……?」
桃とリョーマ、なんか二人で話してる?
「ずいぶん余裕があるみたい」
なら、まだ走れるよね。
そう思ったあたしは、二人に聞こえるよう大きな声で叫ぶ。
「桃ー! リョーマー!
話しながら走る余裕があるみたいね!
20周、追加!!」
「ええっ!? そんなー!!」
「桃先輩のせいっスよ」
「何だと!?」
「あーあ、バカだな桃たち」
「本当だよな。
大石部長代理なんかより、先輩の方がよっぽど怖いってのに」
既に練習が始まっているはずのコートから、
何か話し声がしたのをあたしは聞き逃さなかった。
「人のことを気にする余裕があるなら走れるよね。
荒井、池田! グラウンド20周!!」
「ええっ!」
「なんで俺まで……!」
と言いながらも、二人もしぶしぶ走り出した。
「フフ……
さすが『手塚の右腕』という異名を持つちゃんだね」
「ちょ、不二ダメだって!
ちゃん、そのあだ名知らないんだから!」
「しかし、手塚のような貫禄はさすがに無いとは言え……
が手塚より厳しい確率、96%」
「って、そんなに!?」
「フシュー……」
……――国光、もう九州での生活は本格的に始まってますか?
こっちでは、あなたの居ない青学をもっといいチームにしようと、
みんなで頑張っています。
大石部長代理も、がんばってみんなをまとめてくれています。
あたしも負けないように、みんなをサポートしていくつもり。
全国への切符は必ず手に入れるって、ずっとみんなと言ってるの。
あなたが活躍できる全国という舞台を、あたしも一緒に作っていって……
そして、あなたの目指すもの……
全国制覇を目指して、あたしも日々頑張ります。
だから、早く帰ってきてね。
5.君へ捧ぐ
(君の目指すものへと捧ぐ、あたしの青春……なんてね)
……心配なんかしないようにと、そう冗談交じりに締めくくった。