「行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
微かに……
本当に見逃してしまいそうなくらい微かに笑い、
玄関のドアを開けて仕事へ行った。
「よーし……」
閉じられたドアの前にて、ひとり意気込むあたし。
今日は頑張らなきゃな、と思いながら、リビングに戻る。
――10月7日。
今日は、たった今仕事に行ったあの人の誕生日だ。
そんなに気を遣わなくていい、と言われたけれど……
大切な人の誕生日だもの。
盛大にお祝いしてあげたいから、今日あたしは休みを取ったのだ。
「やることはいっぱいあるけど……」
とにかく、掃除や洗濯なんかを先に済ませないとね。
あたしはそう考え、さっそく行動に移していった。
「……ん?」
家事がひと段落した頃。
テーブルの上に置きっ放しだったケータイが鳴った。
手にとってみると、どうやら電話のようで。
「もしもし」
ディスプレイにある『大石秀一郎』の名前を確認してから、
あたしは通話ボタンを押して出た。
『あ、もしもし。大石です』
「久しぶりだね」
どうしたの? と聞いてみると。
『どうしたの、じゃないよ。今日は7日だろ?』
手塚の誕生日じゃないか、と、大石は言う。
『中学の頃から毎年「お祝いするぞー」って
言い出していたのは君なのに』
「あー、そうだったね」
あの頃は本当に、今以上にはりきってたなぁ……。
あたしが少し笑って言うと、そうだな、と大石も笑った。
『それでさ、今年もみんなで
お祝いするのかと思ってたんだけど』
全く連絡が来ないから、気になって電話した……
というのが、大石の目的だったようだ。
「そっか……わざわざありがとう。
でも、今年は二人でお祝いしてみようかなって思ってさ」
みんなでワイワイするのもあたしは大好きだけど、
たまにはいいかな、ってね。
『なるほど』
そういうことか、と大石は続ける。
『そういうことなら、いいんだけどさ。
ただ、一つだけ頼みがあるんだ』
「うん、何?」
『ああ、実は――……』
「……ん?」
スーパーで買い物をしているとき。
再びケータイが鳴った。今度はメールだ。
「国光からだ」
あの人からこの時間にメールとは、珍しい。
夜、帰る前にメールしてくれるけど、それ以外はあんまり無いから。
どうしたんだろう、と思いながらメールを開いてみると。
『すまない
夜、急に会議が入った。
そんなにかからないとは思うが、当初の予定よりは帰りが遅くなる』
「会議……」
帰りが遅くなる、という旨を伝えるメールだった。
「……まあ、急にだったら仕方ないか」
なんで今日に限って、なんて思ったのが本音だけど。
あれで忙しい身なのだ、仕方がない。
そう思い直し、あたしは買い物を再開した。
「……よし、と」
料理も出来たし、ケーキもばっちりだし……
あとは、主役が帰ってくるだけなんだけど。
時計に目をやると、既に8時を回っていた。
「遅いなぁ」
会議が長引いているのかもしれない。
「あと4時間……」
あと4時間で今日が終わっちゃうよ……
国光――……
……――テレビを付けたまま、ぼーっとしていたとき。
玄関の方から、ガチャという音が聞こえた。
あれ、と思って振り返ったときには、もうそこに国光が居て。
「なんで……」
「ただいま」
「あ、うん……おかえりなさい」
ただいまと言われ、反射的にそう答えてしまう。
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「どうした?」
「その……メールが無いのに、
突然帰ってきたからちょっとびっくりした」
いつも几帳面に、帰る前には必ずメールをくれる……
だけど今日は、そのメールが無かった。
だから、てっきりまだ帰ってこないのかと思っていたのに。
「ああ、すまない……
一刻も早く帰りたくて、連絡するのを忘れていた」
「あ、……そっか」
一刻も早く、というのがなんだか気恥ずかしくて、
それについてはもう何も言えなくなってしまった。
「それより、お前を連れて行きたい場所がある」
「え、今から?」
「ああ」
近くだから、すぐ戻れるだろう。
少しだけ不安になったあたしに、国光は言った。
「夜は少し冷えるからな。何か一枚着ていくといい」
「うん」
あたしは出かける準備を簡単に済ませ、
国光にならって車に乗り込んだ。
「それで、どこに行くの?」
この時間に国光が出かけたがるのは珍しかった。
今日は珍しいことだらけだな、なんて思いながら、
あたしは問いかけたけれど。
「ああ……すぐに解るだろう」
どうやら、到着するまで秘密にしておきたいようだ。
だからあたしも、それ以上は何も聞かずに
窓から見える景色をなんとなく見ていた。
「……あれ? ここって……」
少しすると、見慣れた景色が見えてきた。
中学生のとき、登下校でよく通っていた道だ。
「着いたぞ」
車を止め、国光がそう言った。
「……あっ!」
あたしは、あるものを見つけ慌てて車から降りる。
すぐに解ると言った国光の言葉が、今なら理解できた。
「綺麗……」
その道沿いには、ちらほらとコスモスの花が咲いている。
もう少しすれば、道に沿って綺麗に咲き誇るのだろう。
「今朝、偶然見かけてな。
帰ったら、お前を連れて見に来ようと思っていた」
ずいぶん遅い時間になってしまったが。
「覚えてて……くれたんだ」
「ああ」
他でもないお前の好きな花だからな、と言う。
どうやら、あたしにこのコスモスを見せたくて
連絡もせず急いで帰ってきたらしい。
そんな国光の想いが嬉しくて、胸がいっぱいになる。
「ありがとう、国光……」
「喜んでくれたなら、それでいい」
あなたの誕生日なのに、あたしがもらってしまった。
でも、本当に……嬉しいな。
「…………では、そろそろ帰るか。
ずっとここに居ては冷えるからな」
「うん……そうだね」
もっとたくさん咲いたら、また一緒に見に来よう。
その言葉に、あたしはただ黙って頷いた。
「……すまなかったな、料理も冷めてしまっただろう」
「ううん、大丈夫。あっためればいいんだから」
家に帰ってきて、改めてパーティを開始した。
「あ、そうだ!」
あたしはあることを思い出し、いったん寝室に向かう。
そして、二つの箱を手にしてリビングに戻った。
「それは何だ?」
「うん、大石を始めとする、青学メンバーからのプレゼント」
さっき電話で頼まれたのは、このプレゼントのことで。
みんなで用意したんだと言っていたので、
買い物がてら大石のところまで取りに行ったというわけ。
「で、こっちは宅急便で送られてきたんだけど」
伝票に書いてある送り主の名前を、国光に見せる。
「……跡部?」
「うん、そうなの」
送られてきたのは、どうやら跡部から国光へのプレゼントらしい。
「意外だったな」
「うん」
でも、あたしの大切な人の誕生日を、
祝ってくれてるんだもの。
跡部にも感謝しなきゃな、とあたしは思った。
「じゃあ、改めて……
お誕生日おめでとう、国光」
ありきたりだけど、言わせてください。
生まれてきれくれて、ありがとう。
あなたが居てくれたから、あたしも今ここに居る。
ここで、生きていられるんだと思うんだ。
だから、本当にありがとう……
そして、おめでとう。
「…………ありがとう、」
微かに笑って、そう言った。
ありがとう
(当たり前のように隣に居てくれることに、感謝している)