『君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く』





          何気なく贈られてきた文。
          そこにはたったひとつ、歌が綴られていただけでした――……



































          ……――事の発端は、今朝のこと。









          「おはようございます、様。
           少しよろしいですか?」

          「おはよう、紫姫!
           どうぞ、入って」


          いつもより早めに目が覚め、ちょうど着替えを終えたとき。
          簾の向こうから紫姫に声を掛けられたので、彼女を招き入れた。







          「朝早くから申し訳ございません、様」

          「ううん、気にしないで」


          それよりどうしたの、と聞いてみると
          紫姫は少し心配そうな顔をして何かを差し出した。










          「これは……文、だよね?」

          「ええ、おっしゃる通りでございます。
           先ほど届いた、彰紋様からの御文ですわ」


          こんな朝から文を贈ってくるなんて……
          もしかして、何かあったのだろうか。
          (だから紫姫も、心配そうな顔をしているのかもしれない。)







          「何か、急な用事なのかな」

          「そうですわね……
           私もそう思って、使いの者に聞いてみましたの」


          でも、別に彰紋くんに何かあったわけじゃないし、
          緊急で返事が要る文でもないと言われたみたい。

          だったら、どうして……。















          「様……
           いろいろと気になりますが、御文をご覧になってみてはいかがでしょう?」

          「うん、そうだね。
           その方が確実に状況も解るだろうし……」


          紫姫に促され、あたしは受け取った文を開けてみた。
          すると、文とともに綺麗なコスモスが一輪添えられていたのだ。







          「わあ……」

          「まあ、可愛らしい秋桜ですわね」

          「うん!」


          そうか、今コスモスの時季だもんね。
          それにあたしの一番好きな花だから、すごく嬉しい。

          綺麗なコスモスに和みつつも、本題に入らねばとあたしは文を手に取る。
          丁寧に折りたたまれているそれを、そっと開いてみると。















          
『君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く』















          「様、御文には何と……?」

          「う、うん……
           達筆だからところどころしか読めないんだけど、たぶん……」


          歌、だろうか。

          その文には、たったひとつその歌だけが書かれていた。







          「……ごめん、紫姫。
           代わりに読んでもらってもいいかな?」

          「ええ、もちろんですわ」


          それでは御文を失礼しますわね、と言って、
          紫姫が文を読んでくれた。















          「これは……額田王の歌ですわね」

          「額田王?」


          名前だけなら知ってる!







          「万葉集に載せられている歌ですわ」

          「へえ〜、そうなんだ……」


          さすが紫姫……
          あたしなんかより、よっぽど勉強しているんだろうなぁ。















          「それで……結局、この歌はどういう内容なの?」


          文にこれしか書かれていないということは、
          この歌に何か意味があるということだ。

          そう思ったあたしは、紫姫に聞いてみた。







          「そうですわね……
          『あなたを待って恋しく思っていると、わが家のすだれを動かして秋風が吹くことです』
           ……といった内容でしょうか」


          ええと、つまり…………?








































          「つまり、最終的には会えなくて淋しいってことじゃないでしょうか?」


          紫姫から歌の意味を教えてもらってすぐ、
          後から起きてきた花梨ちゃんが部屋までやって来た。

          それで彰紋くんから届いた文のことを簡単に説明したら、そう言われたのだった。










          「そう、なのかなぁ」

          「そうですよ、きっと!
           ね、紫姫?」

          「ええ……おそらくは」

          「そっか……」


          そう、なんだ…………。















          「さんは淋しくないんですか?」

          「そんなことないよ!
           あたしだって、淋しいし……」


          けど、彰紋くんだって忙しいんだろう、と思い始めたら、
          簡単に「会いたい」なんて口に出来なくなってしまった。










          「彰紋様もそう気軽に外出できないお立場なので、
           あえて言葉になさらないのでしょうが……」


           様にお会いしたいというのは間違いないかと思います、と紫姫。








          「そうそう。
           このお手紙に書いている歌が、何よりの証拠ですよ!」


          本当は秋風じゃなくてさんに来てほしいんだと思います、と、花梨ちゃん。




















          「二人とも……ありがとう」


          ――あたしは何を考えていたのだろう。

          彰紋くんのことを気遣っていたつもりが、そうじゃなかった。
          本当は会いたいと口にして断られるのが怖くて、逃げていただけだ。


          二人の言葉を聞いて、あたしは目が覚めた。















          「会えなくて淋しいって、ただ嘆いているだけじゃ駄目」


          自分から行動に移さなきゃ。







          「彰紋くんが外に出られないなら、あたしが行けばいいんだもんね!」


          花梨ちゃんと紫姫の方を見やると、二人ともにこっと笑って返してくれた。







          「それでこそさんですよ!」

          「ええ、本当に……
           少々お待ちくださいませ、様」


          内裏まで供をする者をすぐに連れて参ります、と、
          紫姫はいったん部屋を出ていった。















          +++































          「……ん?」


          机に向かって書き物をしていると、部屋を仕切る簾が揺れた気がした。
          けれど、誰かがやって来た様子もない。
          ということは、







          「秋風……ですね」


          こんなことを、もう何度繰り返しただろうか。
          簾が揺れるたびに、僕は期待してしまう。

          彼女が来てくれたのではないか、……と。







          「そんなこと、あるわけがないのに」


          龍神の神子と同様に尊い存在であるのは間違いないが、それはごく一部でのこと。
          公けにされている立場上では、彼女は気軽に内裏へ立ち入ることが出来ないはず。

          ――それが解っていながらも、なおも彼女の訪れを待っている。
          そんな自分に、苦笑するしかなかった。















          「本来ならば、僕が会いにゆくべきなのでしょうが……」


          だけど、自分に与えられた役目を投げ出すわけにはいかない。
          京が平和になったとはいえ、やるべきことは山積みだ。
          だから、彼女には会いたいけれど我慢しなくては……。


          ずっと、そう思っていたのに。
          今日は何故だか、無性に彼女に会いたくなってしまった。



          だから前に読んだ和歌集に載っていた歌を、文に綴って贈ったのだ。

          たったひとつ、その歌だけを……。















          「彼女は、驚いているのでしょうか」


          何の脈絡もなしに、歌だけを贈ったのだ。
          不思議に思っただろうし、もしかすると心配しているかもしれない。

          とにかく、彼女の性格を考えると、何かしら返事をよこしてくるはず。
          時間から考えると、そろそろ……。















          「……?」


          再び、簾が揺れたように感じた。
          また秋風だろうと思いつつも、どうしてもそちらに目を向けてしまうと。







          「どう、して……」


          今度は、風などではなかった。















          「さん…………」


          そう、そこには会いたくてたまらなかったさんの姿があった。
          驚いて動けないでいる僕のもとへ、その人は一歩ずつ近づいてくる。







          「ええと……
           突然ごめん、ね」


          僕はよほど驚いた顔をしているのだろうか。
          彼女は苦笑しながらそう言った。

          そんな彼女の頬に、僕は手を伸ばす。







          「、さん……」


          幻ではない。
          この手で触れられるところに、さんが居る……

          僕は思わず、彼女を抱きしめた。










          「あ、彰紋くん……!?」


          今度は彼女が驚いている。
          けど、今の僕は、彼女を解放してあげられそうにもない。










          「あなたに、……会いたかった……」


          言いたいことは、本当はもっとたくさんある。
          それでも伝えることが出来たのは、それだけだった。















          「うん……あたしも、会いたかった」


          そう言って、そっと抱き返してくれる。
          そのぬくもりが、とても心地よくて……

          僕はようやく冷静になってきて、彼女を抱きしめる腕を緩めた。










          「けど、良かった。
           彰紋くんに何かあったのかって心配してたから」


          元気そうだから安心したよ、と、笑顔になる。







          「それは、……すみません。
           あの文では、心配をお掛けしてしまうだけでしたね」


          僕の言葉に対し、気にしないで、と言ってくれた。










          「ねえ、彰紋くん。
           今ちょっとだけ時間いいかな?」

          「はい……大丈夫ですよ」


          あなた以上に優先すべきことなんて、ひとつも無いのだから。







          「ありがとう!
           ちょっと聞いてほしい話がいっぱいあるんだけど……」


          それから僕たちは、他愛もない話をして短い時間を共に過ごした。















          +++






































          「……あ、ごめん。そろそろ帰らないと」


          たぶん、そろそろここに来て一時間くらいは経つと思う。

          ……最初は時計がなくて時間の判断に苦労したけれど、今ではすっかり慣れたもの。
          だいたいの時間の経過は、なんとなく解るようになってきていた。







          「お供してくれた館の人が、迎えにくる時間なんだ」

          「そう、ですか……」


          一時間の約束だったから、と説明すると、
          彰紋くんは淋しそうな顔をしてつぶやいた。










          「……大丈夫、また会えるよ」


          ――あたしは、この世界を選んだのだから。


          そう言って、彰紋くんの手を取る。










          「ええ……そう、ですね」

          「うん!」


          良かった、彰紋くんも笑顔になってくれた。















          「それじゃ、そろそろ行くね」

          「はい。
           さん、どうかお気をつけて」

          「うん」


          そうして彰紋くんに背を向ける……ところで、あたしはひとつ思い出した。







          「あ、そうだ、彰紋くん」

          「はい」

          「あたしがここに来たこと……誰にも言っちゃ駄目だよ?」

          「え?」


          どうしてですか、と、不思議そうに問いかける彰紋くん。
          あたしは簾に手をかけながら、そんな彼に言う。










          「だって、ここまでこっそり忍び込んできたんだもの」

          「ええっ!?」


          案の定、あたしの行動が予想外だったのだろう。
          あまり大声を上げることはない彰紋くんが、心底驚いた様子で叫んだ。







          「さん、それはいくらなんでも……」

          「あ、ごめん。今度こそもう行くね!」


          人の気配がしたから、あたしは彼の言葉を最後まで聞かず、急いで部屋を出た。




















          「東宮様?いかがなさいました?」

          「あ、いえ……何でも、ありません」


          本当に彼女は、僕の予想を遙かに越える人だ。
          ……けど、だからなのだろう。

          彼女という人に、惹かれてやまないのは。










          「……ありがとうございます、さん」


          あの歌を贈って、本当に良かったと思った。














































   こいうたつづり





             (かけがえのない あなたに贈る)
























































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            何気に初の彰紋くんでした!いかがでしたか?
            こちらは企画サイト「朱雀阿弥陀」様に提出させて頂きました。
            サイト様の方には参加者様の素敵なお話やイラストがありますので、そちらもぜひご覧になってください!

            それにしても、彰紋くん……やっぱ好きだ!
            基本的に地の朱雀は好きなのである。(何
            今回お題を頂いて「彰紋くんか弁慶さんかなぁ」と思ったのですが、
            やっぱイメージもろもろ考えると彰紋くんだな、と。


            ええと……一応今回は、呪詛とか京のこととか全て解決した後のお話です。
            花梨ちゃんもさんも京に残っています。
            設定としては「牡丹の姫」と同様だと思いつつ書きました。

            京が平和になったのはいいが、彰紋くんは前にも増して忙しいのでは?
            という考えからこんな感じに。
            でも、内裏に侵入するなんて、すごすぎる(苦笑)

            とにもかくにも、やっぱり彰紋くんが好きだ!!(2回目


            最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!