部屋の掃除をしていたとき、ふとケータイが鳴った。
「電話…?
……あ、近藤さんからだ」
ディスプレイに表示された名前を見て確認してから、
通話ボタンを押す。
すると、予想通りの豪快な声が聞こえてきた。
「おォ、ちゃんか?」
「はい! こんにちは、近藤さん」
「ハイ、こんにちは」
挨拶をすると、近藤さんもしっかり返してくれた。
思い出のアルバムを心に――第三話 空に浮かぶ月と隣に君
「今日はなァ、ちょっと依頼したくて電話したんだ」
「依頼ですね、ありがとうございます!
それで、どういう内容ですか?」
依頼について聞いてみると、
「明日一日だけ女中をやってほしい」とのことだった。
なんでも、ベテランの女中さんが家の事情で
しばらく実家に帰ることになったらしく……
さらに、明日に限って他の女中さん数人が
もともと休みを取っていたので……
結果人手が足りない状況になってしまい、
あたしに依頼してくれたということだった。
「女中さん、ですか……
でも、あの……あたし、料理は苦手なんですが……」
申し訳ない気持ちでそう言うと、
近藤さんはいつものように豪快に笑って言う。
「あァ、そこは心配しなくて大丈夫だ!」
女中さんたちもみんな向き不向きを考慮して
担当があるらしいしな。
ちゃんは料理以外の担当をしてみたらどうか、
と言ってくれた。
「そうですか……
それなら、依頼を受けてご迷惑をかけることは無さそうですね」
近藤さんからの依頼なら、
喜んでお引き受けするところだけど……
実は、その点が少し引っかかっていたのだ。
でも、これならあたしでも期待に応えられそう。
そうしてあたしは、近藤さんの依頼を受けることにした。
「こんにちは〜」
「やァ、いらっしゃいちゃん」
「お邪魔します、近藤さん!」
真選組の屯所に着くと、
依頼主である近藤さんが出迎えてくれた。
「さっそくだが、ちゃん用の女中服を用意してあるから。
他の女中さんに手伝ってもらって着てみるといいかもな」
「はい!」
そのままの服だと汚したときに困るだろうから、と、
わざわざ女中さんの服を用意してくれたようだ。
正直、ちゃんとした着物の着方は解っていなかったので、
お言葉に甘えて他の女中さんに手伝ってもらうことにした。
「えー、みんなもよく知ってると思うが、
ちゃんのお姉さんのちゃんだ!」
人員が厳しいので、
今日だけ女中として働いてもらうよう依頼しておいた。
「よろしくお願いします」
簡単に挨拶をすると、
女中さんたちが次々に声を掛けてくれる。
土方さんや、総悟くんにも依頼されてここにもよく来るので、
実はいろんな機会で女中さんたちとも仲良くなっていて。
今回の依頼をそこまで気負わず受けることが出来たのは、
その辺のこともあったりするのだ。
「いろいろ頼っちゃうかもしれないけど、よろしくねちゃん!」
「一緒にがんばりましょ!」
「はい! よろしくお願いします!」
そんなこんなで、女中さんとしての仕事がスタートした。
料理することになったらどうしよう、なんて変な心配をしていたけど、
いざ始まってみれば掃除をメインにやらせてもらって……
(女中さんたちが、やりやすい仕事を割り振ってくれたと思われる)
あとは、まあ……
作ってもらった料理を配膳したり、と一緒にお昼食べてみたり
休憩時間には、総悟くんと一緒におしゃべりしたりとか……
仕事をしながらも、すごく中身の濃い時間を過ごしていった。
「……あれ?
ねぇ、。そういえば土方さんは?」
に頼まれたお茶を、部屋に運んできたとき。
ふと気になったことを、そのまま聞いてみる。
――よくよく考えてみれば、
朝ここに来てから土方さんに一度も会っていない。
お昼のときも、食堂には来なかったし……。
「あァ、トシなら市中の見回りに行ってるよ」
面倒だから、お昼も外で済ませてきたんだろうね。
受け取ったお茶を飲みながら、興味なさげにが答える。
「そっか……
忙しいんだね、土方さん」
「さァ? そーでもないと思うけど。
(てゆーか、お姉がココに来てること知ってたら
何がなんでも帰ってくると思うし)」
責任感のある人なんだろうなぁ、っていうのは、
あたしもなんとなく解ってる。
だからこそ、あの人は仕事に妥協しないんだろう。
「……?
、それ何調べてるの?」
お茶を飲みながらも、の手はパソコンをいじるのをやめない。
何か調べ事をしているようにも見えるけれど、いったい……?
「あァ、コレ?」
今日ちょうど十五夜だからさ。
「月とか、そーゆーのに関係する記事をちょっと見てただけ」
「あ、なるほど……」
……え?
でもそれって、仕事してないんじゃ……(ネットサーフィン??)
そうも思ったんだけれど、とりあえず黙っておくことにした。
「これなんか面白いよ。
夏目漱石は『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳した」
とある記事をクリックしながら、が言う。
「あ、その話、知ってる!」
何かでたまたま読んだことがあるんだよね……
「I love you」のシャレた訳し方とか、そんな感じの特集で。
「面白いけど、的にはちょっと遠回しな気もするよ」
「そうかなぁ。
あたしはけっこう好きだけど」
「確かにお姉はこーゆーの好きそうだね」
「うん!」
そんな話をしてるうちに、
いつの間にかお茶を飲み干していたので。
あたしは湯呑みを回収し部屋を出て、女中の仕事に戻った。
「……オイ、入るぞ」
「トシか? いいぞォー」
ドカーン!
「ってオイィ! 入った瞬間バズーカはやめろバカ!!」
何度言ったら解るんだ、と、土方が叫ぶ。
「そんなことより、トシ」
怒りMAXな鬼の副長もなんのその、
副長補佐・はさっさと次の話に移る。
「そんなことってお前……!」
「さっきお姉と話してたんだけど」
「……!
と……?」
――の名前を出せば、副長は十中八九静かになる。
誰が言い出したのかは解らないが、
真選組ではいつしかそんな法則(?)が出来ていた。
もそんな副長の習性を、
うまいこと利用する人間の一人であった。
「十五夜にちなんでがいろいろ調べてたワケ。
そしたら、夏目漱石のことが載っててさ」
「……それがどーした」
「いや、だからその夏目がさ。
『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳したんだってさ」
あァ、そこで「月」が出てきたワケか……。
十五夜と夏目漱石になんの関係が、と思った土方は、
そこでようやく納得した。
「……つーかなんだその『月が綺麗ですね』っつーのは」
「いろいろと諸説はあるみたいだけど。
まァとにかく、だ」
お姉はその「月が綺麗ですね」っていうのを
いいねって言ってたよ。
のその言葉に、土方の動きが一瞬止まる。
「トシ、お姉に言ってみれば?」
「なっ……んなこと言えるかァァ!!」
「ハァ……全くマジでヘタレだな」
「ほっとけ!!」
そんな会話を、だらだらとしていたため……
土方が本題の用件に移れたのは、
それから三十分後のこと……だったりしたらしい。
「あれは……」
さっきまで夕焼けだった空も暗くなってきて、
月が見え始めていた。
夕飯までの空いてる時間に、洗濯物を畳んでいたあたしは、
それを運ぶ途中で縁側に見慣れた人の姿を見つけ駆け寄った。
「土方さん、戻ってきてたんですね!」
お帰りなさい、と続けて言うと、
こちらを振り返った土方さんが少し驚いたような表情を見せた。
「お前、その格好……」
「あ、これですか?
近藤さんからの依頼ですよ」
どうやら、あたしが女中さんの格好をしているのでびっくしたらしい。
事の経緯を簡単に説明すると、そういうことかと納得していた。
「依頼の件、近藤さんから聞いてなかったんですか?」
「……聞いてねェ。
(聞いてたらもっと早く帰ってきたっつーの……)」
何故か少し不満そうな顔をする土方さん。
それを不思議に思いつつも、あたしはその隣に座る。
「……仕事はいーのか?」
「この洗濯物を運び終えたら、
夕飯までは休憩していいって言われたので」
まだ運び終えてはいないですけど、少し休憩です。
そう答えると、「そうか」とだけ返ってきた。
「そういえば……今日は十五夜なんですよね」
の言葉を思い出し、空に浮かぶ月を見上げる。
何も言わなかったけど、
土方さんも同じように見上げているのが気配で解った。
お姉はその「月が綺麗ですね」っていうのをいいねって言ってたよ。
「…………」
月に見とれているのだろうか、土方さんは何も言わない。
あたしもあたしで見入っていたので、そのまま黙っていた。
「これなんか面白いよ。
夏目漱石は『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳した」
それにしても……
月が綺麗ですね、か。
その月を見上げながら、
あたしはさっきのの言葉を思い出していた。
「…………オイ、」
「はい」
沈黙を先に破ったのは、土方さんだった。
呼んだからには言葉の続きがあるはずなので、
あたしは黙ったままそれを待つ。
「月が、……綺麗ですね」
「……!」
え、……あれ?
今の、もしかして……。
まさかとは思ったけれど、
土方さんがあたしに敬語使うなんてことないし。
ちょうど夏目漱石の例の話を思い出してたから、
「そういう意味」にしか聞こえないんだけど……!
「あ、あの、土方さん、今のは……」
「あ、いや、何でもねー、気にすんな!!」
まさに「脱兎のごとく」という言葉がピッタリの勢いで、
急に立ち上がった土方さんは走り去ってしまった。
「…………なんだったんだろう」
土方さんは、どういう意味であの言葉を言ったのかな……
「もしかして、知ってたのかな……夏目漱石」
走り去るときの土方さんの顔……
一瞬だけしか確認できなかったけど、すごく赤かった気がする……。
そこまで考えて、自分の顔も熱くなってきていることに気づいた。
「どうしよう……」
そして、あたしは……
嬉しい、と、素直に思ってしまったのだった。