「ねえ、都……今日って何日か解る?」
「今日? 今日は確か、四月二十六日だったと思うけど……
何かあるのか?」
「うん、それがね――……」
「そっか、今日は…………」
今日は、四月二十六日なのか……。
ゆきと都の会話をなんとなく聞いていて出てきた日付。
四月の、二十六日。
それは……
少なくともあたしにとっては、特別な日だった。
「……ちょっと行ってきます!」
勢いよく立ち上がったあたしは、そのまま辰巳屋を出ようとする。
「あっ、おい、!?」
「どこに行くの?」
「薩摩藩邸!」
一人じゃ危ない、と言う二人の声は届いていたが、
あたしは聞こえないふりをしてそのまま飛び出した。
「……あっ!」
薩摩藩邸を目前にしたところで、
反対方向からやって来る人物の姿が目に入った。
「西郷さん!」
名前を呼んで駆け寄ると、その人もあたしに気づいてくれる。
「おお、殿!
久しぶりですな」
「はい、お久しぶりです!
しばらくお姿がありませんでしたが、遠征でもしてたんですか?」
問いかけると、「まあ、そのようなもんです」という答えが返ってきた。
……おそらく詳細は話せないのだろうから、
あたしもそれ以上の追及はやめる。
「して殿は、御家老に?」
「はい、ちょっと用があって……。
でも、今から西郷さんが遠征についての報告をするんですよね?」
――それなら、あたしは日を改めます。
そう続けると、西郷さんは何か考え始めた。
そして、少し間を空けて言う。
「……あなたは、それでよろしいのですかな?」
「え?」
どういうことだろう、と思っていると、
先ほどまでとは違う空気を纏った西郷さんが、真剣な声音で言う。
「見たところ、あなたは供も付けずお一人でいらしたご様子……
未だ戦のさなかであり陽炎の出現も騒がれる今、
火急の用でもないのにお一人で辰巳屋からここまでいらっしゃるでしょうか」
「今日」でなければ、いけないのではないですか。
そう言っていつもより少し優しく笑った西郷さんを、
あたしは(きっと、)驚いたような顔で見ていたと思う。
――やっぱり、この人はすごい。
彼が、絶大な信頼を寄せるだけのことはある。
「我々の話もそう時間はかかりませんから、殿は部屋にてお待ちください」
その言葉に、あたしは黙って頷いた。
通された部屋で待っていると、しばらくして彼が姿を現した。
辺りを見回したあと、何故か少し眉間に皺を寄せて口を開く。
「もしかしなくても、一人でここまで?」
「え? うん、そうだけど」
あたしが答えると、彼はよりいっそう眉間に皺を寄せた。
その意味が解らず、あたしはただ黙って彼を見つめる。
「……君は馬鹿なの?」
――こんな時世に供も付けず一人出歩くなんて。
「何かあってからじゃ、遅いんだけど」
表情だけで判断するとものすごく怒っているようだけど、そうじゃない。
これはただ、心配しているだけだ。
「……ごめんね」
それが解ったから、あたしはまず、素直に謝った。
「どうしても『今日』、一緒に出掛けたくて……
すぐ会いに行かなきゃと思って、そのまま飛び出してきた」
一人でやって来た理由をそのまま話すと、
彼は一瞬だけ目を見開き、そして呆れた顔をし溜め息をついた。
「全く……君らしいね」
あたしが素直に謝ったのが意外だったのか、
それともここに来た理由がくだらなくて、心底呆れているのか……
本当のところは解らないけれど、何故か説教を諦めてくれたらしい。
「それで?
どこに出掛ける気なの」
「え?」
当たり前のようにそう言うので、思わず聞き返してしまった。
「一緒に出掛けるつもりで、ここに来たんでしょ」
君が言ったんだよ、と、
ぽかんとしているあたしを見て苦笑する。
「それは、そう、だけど……いいの?」
「構わないよ」
どうせ戻っても、西郷に追い返されるだけだからね。
苦笑したまま、そう言った。
「……解った。
じゃあ、行こう!」
どうやら、西郷さんが何か口添え的なことをしてくれたらしい。
あたしは心の中で西郷さんに感謝しつつ、彼の手を引いて藩邸を出た。
「君が出掛けたかった場所って、ここなの?」
「うん、そう」
やって来たのは、二条城の南に位置する場所――神泉苑だった。
「……ここに何か用でも?」
「ううん……ただ、」
ただ、「異世界と繋がっている」としたら、ここかなって。
「異世界?
それは、君がかつて居た……」
「うん」
あたしが、生まれてからずっと暮らしてきたあの世界。
もしあの世界に繋がっている場所があるとすれば、
ここしかないと思ったから。
「……今日、ね。
大切なひとの、大切な日なんだ」
今日が四月二十六日だと解ったとき、すぐ思い浮かんだ。
そうか、今日なのか、と。
「だから、その……
現実的にはあり得ないんだろうけど、想いが届くならこの場所かなって」
なんとなくそう思ったから。
他でもない「あなた」と、一緒に来たかった。
「ありがとう…………」
あなたの存在に、感謝しています。
これからもどうか、お体には気を付けて――……
「……ところで、」
「ん?」
神泉苑からの帰り道、しばらく黙り込んでいた彼が口を開いた。
「君の言っていた『大切な人』って……君の昔の恋人?」
まさかそんな問いが来るとは思っていなかったので、
一瞬ぽかんとしてしまった。
けど、珍しく彼が苛立ちを表に出しているので、すぐ答える。
「ううん、違うよ」
そういうのとは、ちょっと違うかな。
「なんてゆうか……尊敬のほうが、近いと思う」
好きなことには変わりないんだけど、そうだな……
「敬愛」って、こういうときに使うんだろうと思う。
「そもそもその人は、『あたし』を知らないだろうし」
それでもあたしは尊敬してるし、感謝してるから。
だから、その想いを届けたかった。
「……そう」
「うん!」
誤解させてしまったみたいだけど、どうやらそれも解けたようだ。
だって、彼からはもう苛立ちを感じないから。
「今までも、この先もずっと……
あたしが恋人だと思っているのは、小松帯刀だけです」
瞳を見つめてそう言うと、また一瞬目を見開いたあと、
珍しく照れて「そのままそっくり返すよ」とだけ言った。
ありがとう、
大切なこの人に命を吹き込んでくれた、大切なあなたよ
(あなたの生まれた日を心から祝い、心から感謝しています――……)