「……ん?」
所用により人里に下りてしばらく。
森の奥深く、住まいとする場所に戻ってくると、
机の上に丁寧に折りたたまれた何か――桜色の和紙が、置いてあった。
「なんだろう……」
今朝出かけるときには、確かに無かったはずだが。
不思議に思いながらも、その紙に手に取り広げてみる。
すると、読みやすい字で「へ」と書いてあった。
目にすることは少ないが、すぐに解った。
これは、あのひとの字だ。
へ
この文を見つけたってことは、やっと帰ってきたみたいだねぇ。
待ちくたびれたよ。…まあ、お前のことだからそんなに長い時間は
かけずに帰ってくるんだろうけど。俺にとっては、お前が傍に居な
い時間はとても長く感じるんだよ。覚えておくようにね。
お前と出逢ってから、もう六年目にもなった。出逢ったあの頃は
こんな風にお前を傍に置いて暮らすなんてこと、微塵も考えてなか
ったよ。まあ、当たり前だよねぇ?俺たちは、敵同士だったんだか
ら。考えていたほうが、よっぽどおかしいよねぇ。
だけど…お前は初めから、俺を真っ直ぐ見ていた。俺のことを
大して知りもしないくせに「救いたい」だなんて、馬鹿なことを
言う女だと思っていた。…けど、違ったね。お前は、俺のことを
よく解っていた。俺自身が自覚していないことさえも、お前はちゃ
んと見抜いていたねぇ。それを全て理解したとき、俺は悟ったよ。
自分のために、お前を傍に置いておかなきゃいけないのだと。この
先何があっても、お前の手を離してはいけないのだと。
今思うと、それはやっぱり正解だったよ。俺がこうして生きてい
られるのも全て、お前のおかげだからねぇ。大げさだと、お前は少
し困ったような顔をするかもしれない。けど、事実なんだ。だから
訂正はしないよ。
当代の八瀬姫と、子鼠ちゃん――涼森の頭領にも、まあ感謝して
るかな。あの二人には、絶対に言わないけどさ。けど、一度は
はぐれ鬼となった俺がこうして穏やかに暮らせているのも、二人の
力があってこそ…なんだろうねぇ。やっぱり癪だから、二人にそれ
を伝えることはないと思うけど。
…今までちゃんと言葉にしたことはないけれど、俺にとって
お前は本当に大切な存在だよ。お前が居なければ、今の俺は存在し
ていなかったんだからさ。お前に会うまでは、ひたすら十鬼衆の奴
らに復讐することばかり考えていた。けど、今は…お前とこの先も
ずっと穏やかに暮らせるようにと、そればかりだよ。こんなに考え
方が変わるものなのかって、正直戸惑いもある。けど、それすらも
悪くないと考えてるよ…不思議だよねぇ。これも全て、お前のおか
げなのかなぁ。
なんだかとりとめもなく書き綴ってしまったねぇ…そろそろお開
きにしておこうか。それじゃあ、最後に一つ……
、愛してるよ。この先もずっと――
朧 八千代
「…………」
あたしはいつの間にか、涙を流していた。
無意識だったから、明確な理由は説明できない。
ただ……
ただおそらく、あのひとからこんな風に胸のうちを明かしてもらったのは
初めてに等しいから、嬉しいという意味での涙だろう。
そんなことを客観的に考えながらも、あたしは急いで涙を拭った。
「……行かなきゃ」
あのひとを捜して、あたしは家を飛び出した。
……桜色の和紙を綺麗に折りたたみ、そっとしまってから。
「……八千代!」
見慣れた後ろ姿を見つけ、その名を叫ぶ。
すると、ゆっくりとした仕草で振り返る。
「よくここが解ったねぇ」
どこか楽しそうにそう言った。
「あなたのことなら……解るよ」
あたしがそう返すと一瞬目を丸くしたが、すぐにまた楽しそうな笑みを浮かべて言う。
「そうか……そうだよねぇ。
お前は、そういう奴だよ」
「……?」
言葉の意味が解らず首をかしげてみるが、「なんでもないよ」と返されるだけだった。
「さ、そろそろ戻るよ」
「う、うん」
この流れだと、これ以上は何も言うべきではないのだろう。
そう思ったから、あたしは特に口出しせず従った。
……先を歩く形になっているそのひとが、ふと、振り返って言う。
「いつもありがとう、。愛してるよ」
今度はもう、涙を止めることが出来なかった。
やっと、あなたを救えた。
(本当に心から、そう思えた。)