――そう、例えるならば。

鍵を掛けたはずの扉を、外からこじ開けられる心地。

開けてくれなんて頼んでいないのに、
それでも開けようとする人。



それが、――……












十月五日の災難




















「おはよう、六道くん」


いつもと変わらない朝。

教室に入ってきた骸に向かって、は声をかけた。





「……おはようございます」


無視をしても良かったのだが……

後が面倒だと思い、骸はひとまず返事をした。










『そんな……
 そんなの悲しすぎるよ……』



骸が彼女と話をしてから、およそ一ヶ月……
あの日からずっと、彼女は毎日骸に声をかけている。


初めこそ、彼女の行動に驚くクラスメイトもいたが、
それが一ヶ月も続いたとなると、自然と慣れてくるものだ。

今では、二人のやり取りを気にする者はいなくなった。










「六道くん、数学の宿題やってきた?」

「……ええ、もちろんですよ」

「私もやってきたんだけど、あんまり自信ないんだ。
 あてられないといいなぁ……」


そんな他愛も無い話を、よく二人でしている。

……と言っても、全て彼女から話しかけているのだが。





「…………」


だが彼女は、必要以上に纏わりついては来なかった。

ただ、朝や帰り際に骸と挨拶を交わし、
簡単な話をするだけにとどまっていた。










『僕は、人間が憎いんですよ』


そう言った骸への、彼女なりの気遣いなのかもしれない。

彼女の考えなど全く理解できない骸であったが、
話をすることは、なぜか嫌ではなかった。


――いや、違う。

自分は彼女という人を、他の人間のように憎いとは思えないのだ。





「一体、なぜ……」


今までの自分なら、こんな些細なことで
いちいち悩んだりはしなかった。

こんなどこにでも居るような少女など、放っておけばいい……










「あっ、ホームルームが始まるみたい……
 またあとで話そうね、六道くん」

「…………ええ」


それが、自分は彼女と毎日挨拶を交わしているし、
話しかけられれば、きちんと答えている。





「なぜだ………」


どうして――……

いつしかそんな疑問ばかりが、骸の頭の中を占めていた。



















「……やっと咲いたんだ」


は帰りがけに、とある場所に立ち寄った。
そこは、彼女の大好きな花――コスモスが一面に咲く場所。

この季節になると、彼女は毎日のようにこの場所にやって来るのだ。





「綺麗だなぁ……」


彼女はコスモスに見とれていた。
だから、気づかなかったのだ。

――彼が、すぐそばまでやって来ていたことに。










「綺麗な場所ですね」

「……!」


骸は特におかしなことを言ったわけではない。

だが、自分しかいないと思い込んでいた彼女を、
驚かせるには十分だった。





「おや……驚かせてしまいましたか?」


すみません、と言って謝った骸は笑顔だったが、
やはり彼女には、それは作り物にしか見えなかった。





「…………」


あの日と同じで、今ここには自分と骸しか居ない。

教室ではあまり長く話さないようにしていたが、
今ならもっと話せるかもしれない。

――私の話を、聞いてくれるかもしれない。





「六道くん」


意を決したは、改まった様子で彼に声をかける。





「何でしょう」

「私……あなたと友達になりたいの」


彼女の言葉を受けて、あの日と同じように
骸から顔から笑みが消える。





「友達、ですか」


友達なんてものは……ただの幻想だ。

綺麗で尊いものに思われがちだが、
所詮は儚くてとても脆い。


そんなものは……僕には必要ない。










「六道くんは人を憎んでいて、信じられないって言ってた」


だからきっと、「友達」という言葉も好きじゃないと思う。
それでも、やっぱり……





「人と距離を置くのは……
 ずっと一人でいるのは、悲しいことだと思う」


骸の返事を待たずして、は語り出した。





「一度にたくさんの人を信じるとなると、難しいよね」


――それなら、まずは私のことを信じてほしいの。





「私は、六道くんを信じるから。
 だから、六道くんは私を信じて」

「僕を……信じる?」

「うん」


何を馬鹿な……

出逢ってから一ヶ月そこらしか経っていないのに、
この少女はなぜそんなことを口に出来るんだ。


――本当に、あなたのことが理解できない……










「六道くん」


骸の返事を促すように、彼女はその名を呼ぶ。





「…………」


人間は醜い存在だ。

僕はそんな人間を憎んでいるし、
信じられる要素など一つもないと思ってる。


この少女にもそれを伝えていたはずだ。

それなのに、諦めようとしないのか?
どうして……





「…………」

「…………」


彼女に対する疑問が尽きない骸であったが……

ただ一つ、彼女が本気であることだけは理解できた。










「……わかりました。
 では、僕から一つ提案させてください」

「提案?」

「ええ」


彼女の本気にあてられたせいなのかもしれない。
自分がそんなことを言い出したのは。

骸は、どこか他人事のように思った。





「ここから西へ行ったところに、小さな滝があります。
 ご存知ですか?」

「う、うん……
 小さい頃、近くまで遊びにいったことがあるから」


言葉の意図が読み取れず、は少し困惑した。





「そこに、とても綺麗な花が咲いているんです。
 このたくさんのコスモスにも負けないような、綺麗な花が」

「そうなんだ……」


骸は「小さな滝」という言い方をしたが……

足を滑らせ転落でもすれば、
大怪我をする可能性のある場所だ。


――だから、あの滝には近づかないこと。

彼女は、幼い頃からそう言われ続けていた。





「その花を、僕のために採ってきてもらえませんか?」

「滝の近くに咲いている、その花を?」

「ええ、そうです」


その花を採ってきてくれたら、僕はあなたを信じてみましょう。











「…………」


つまりは、私にどれほどの覚悟があるか……
っていうこと。

六道くんはそれを知りたいのだ。
そして今、私の本気を試している……。


は、それを理解していた。





「クフフ……」


骸が、今までになく楽しそうな笑みを浮かべる。

この提案に対し、彼女がどう動くのか……
それが楽しみなのだ。














「…………」


は考えた。

自分のことを信じてほしいという言葉に、嘘偽りはない。
生半可な気持ちで、決してふざけて言っているわけでもない。





『この先の滝は危険なの。
 お友達と遊びに来るときも、この先に行ってはダメよ』

『はーい』






だが、例の滝はとても危険だと聞かされている……
上から落ちれば、ただでは済まないはず。


それでも、ここで提案を断れば
骸は誰も信じないまま……ずっと一人だ。

どうしてもそれは避けたい。





「…………」


どうにかして、この人に「人を信じる」ということを……
その大切さを知ってもらいたい。

そこまで考え、彼女は決意した。










「わかった……
 私、その滝に行って花を採ってくるね」

「……!」



骸は思いきり目を見開いた。

その提案を持ちかけたのは自分だ。
だが、まさか本当に受け入れるとは……。





「明日、採ってくるよ」

「……ええ、期待して待っています」


自分の心中を悟らせないため、
骸はなるべく平静を装ってそう返した。





「夕方の5時に、ここに持ってくる。
 だから、六道くんもここに来てね」

「わかりました。
 それでは、また明日お会いしましょう」


そう言って、骸はそのまま立ち去っていった。










「…………頑張らなくちゃ」


明日は学校が休みだ。
だから、午前中から出かければ間に合うはず……

は、そんなことを考えながら帰路に着いた。



















「…………何を考えているのでしょうか、あの少女は」


言い出した骸自身でさえ、
あんな提案を彼女が受けるとは全く思っていなかった。


その滝が危険と言っても、たかが知れているが……

自分のような者や、マフィアでない限りは、
あの場所から花を採ってくることは不可能に等しい。





『…………』


先ほどの、考え込んでいる彼女を顔を思い出す。

実際に足を運んだことはないが、
周りから「あの滝は危険だから」と聞かされている……

そう言いたげな顔だった。





「彼女はなぜ、あんな提案を……」


――それは、骸に自分のことを信じてほしいから。


骸は彼女の考えを理解できないでいた。

他人のために、そこまでするだろうか?
危険な目に遭う可能性が高いその提案を、受けるだろうか?










「……いや、」


普通の人間ならば、何よりも自分の命が惜しいはず。
他人のために、そんな危険を冒したりはしない。





「そう、普通の人間ならば……」


だが、彼女は普通ではない。
それは、一ヶ月前のあの日から分かっていたこと。


それでも、彼女に対し疑問を持たずにはいられなかった。
何が彼女を、あそこまで動かすのか……。





「……とにかく、明日が楽しみですね」


万が一、彼女が約束通り例の花を採ってきたら。

自分の中にあるたくさんの疑問……
それに対する答えも、見つかるのかもしれない。





「クフフ……」


骸は無意識に笑っていた。




















翌日の夕方。

骸はと約束をした場所……
コスモスの咲き乱れる、あの場所へとやって来ていた。

滝に咲いている花を、彼女は本当に持ってくるのか……
それを確かめるためだった。





「……まぁ、おそらくは無理でしょうがね」


その花を、骸は実際に目にしていた。
滝の一番上の、滑りやすそうな場所にそれは咲いている。





「一般人である彼女では、あの花は採れない」


足を滑らせ、落下する可能性のほうが高い。

こんな下らない提案のために、
自ら危険に身をさらす人間なんていやしない。

昨日あれだけ真剣な眼差しをしていた彼女でさえ、
きっと例外ではないだろう。





骸は、そう思っていた、

……それなのに。










「…………骸様」

「おや、千種ですか。どうしました?」


彼女と約束した時間の、少し前。

そこに現れたのは彼女ではなく、
自分が共に行動している柿本千種だった。





「ここより西にある滝……そこで事故があったとかで」

「……!」

あの滝で、事故……
まさか……




「女子中学生が足を滑らせて落下し、
 大怪我を負って病院に運ばれたらしいです」

「っ……」


女子中学生が……

――間違いない、それは。


千種が続きを口にする前に、
骸にはその「女子中学生」が誰なのか分かっていた。





「中学生の名前は、……
 骸様が、最近よく話していた少女かと」


その瞬間、骸の中で何かが弾けたような……
そんな心地だった。


――その後の自分の行動を、骸はあまり覚えていない。

気付けば千種から事の詳細を聞き出し、
彼女が運ばれたという病院までの道を、ひたすら走っていた。



















十月五日の災難



(僕はきっと あなたに怪我をさせたかったわけではないんだ)