――僕はただ、あなたを信じたかったのだろう。



たったそれだけのことだったのだと、今ようやく理解した。












十月七日の懺悔



















が病院に搬送された週末が明けて。

骸は、今まで通り学校へ通っていた。






「戻ってくるまで一ヶ月、ですか」


骸の中には、確かに変化が生じていた。
彼女と正面から向き合うことにより生じた変化。

骸自身でさえも未だ戸惑っている、その変化……。




――早く、彼女に戻ってきてほしい。

いつものように朝一番で挨拶をしてほしい。
他愛もない話を、彼女としていたい。


骸の中には、いつからかそんな想いがあった。










「…………おかしな話、ですね」


彼女に大怪我を負わせた原因は、
自分の出した愚かな提案だというのに。

それが、「戻ってきてほしい」だなんて……





「浅はかだ……」


だが、それでもその気持ちを抑えることが、
骸には出来ないでいた。










「ねぇ、聞いた? のこと」

「うん、聞いたよ」


教室に入ると、数人の女子生徒が話をしていた。

何を話しているのかは、だいたい予想がつく。
おそらく、彼女の怪我についてだろう。





「…………」


誰が何を話していようと、
普段は気にも留めなかったが……

彼女の話となると妙に気になってしまい、
席につきながらそっと聞き耳を立てた。





「一昨日、あの立ち入り禁止の滝から落ちたんだって」

「ええっ、そうなの!?」

「うん、どうやらね」


千種の話では、あの滝の周りにも人が集まり
大騒ぎになっていたという……

すでに、彼女のことは噂として広まっているのだろう。










「でもさ、災難じゃない?」

「え、どういうこと?」

「だって、一昨日って十月五日でしょ? 
 の誕生日じゃない」





「……!」


女子生徒のその言葉に、骸は思わず息をのんだ。





「一昨日は彼女の……」


誕生日……










「えーっ、そうなの!?」

「前に聞いたから、間違いないよ」

「そっか〜……誕生日に大怪我しちゃったんだ」

「うん……ちょっと失礼かもしれないけど、
 災難って言うしかないじゃん」

「ホントだね〜……」










「……まさか、」


――まさか、あの日が彼女の誕生日だったなんて。


今まで彼女と深く関わろうとしなかった骸は、
もちろんそのことを知らなかった。





「そんな日に……あんな危険を冒したというのか」


やはり、彼女のことは理解できない……。

だが、今はそれよりも先にやるべきことがある。
そう思い、骸は立ち上がった。










「…………骸様、どちらへ?」


今しがた登校してきたばかりだというのに、
荷物を持って教室から出ようとしている。

そんな骸を疑問に思い、
すぐ後からやって来ていた千種が問いかけた。














「用事を思い出しました。今日はもう帰ります」

「……そうですか」

「君と犬は、ここに居て下さい。
 でないと怪しまれますから」

「分かりました」


余計なことは言わずただ頷いた千種だったが……
彼にはなんとなく、骸の行き先が分かったような気がした。





「きっと……病院だろう」


きっと彼女の元へ向かったのだろう。
一昨日と、同じように――……




















「確か、ここだったはず……」


学校を抜け出した骸が来ていたのは、
が居る病院ではなかった。

……否、正しくは、
そこに行く前にある場所に寄っていたのである。





「本当に、見事に咲いていますね」


そこは、彼女の大好きな花――
コスモスが一面に咲く、河川敷のすぐそば。

そして……
そして自分が、彼女に愚かな提案を持ち出した場所だ。





「……すみませんね、いくつか頂きますよ」


骸は誰に言うでもなく断りの言葉を発した後、
そこに咲いているコスモスを何本か採った。

そして、それを綺麗にまとめると。
本来の目的地――彼女のいる病院へと向かった。















「こんにちは」

「え、あれ……六道くん!?」


突然開かれた病室の扉。

入る前に断りの声が掛からなかったから、
彼女はてっきり母親だと思っていたのに。


そこに居たのは、思っていた人とは別の……
予想外の人物で。





「あ、あの……学校は?」


部屋の壁に掛かっている時計を見てみると、
今はまだ、午前11時をまわったところ。

今日は平日だから、まだ学校に居るはずなのに……。





「学校は抜け出してきました」

「えっ……」


驚きのあまり、は何も言えなくなってしまった。


もとより、彼女も優等生というわけではないが、
学校をさぼるだなんて考えもしなかったこと。

それを目の前でやってのけている骸に、
色々な意味で感心している。










「あなたに……謝りたくて」

「謝る?」


どうして、と言わんばかりの瞳を骸に向ける。
彼女のそのしぐさに、骸は苦笑を浮かべた。










「……すみませんでした」


少し間を空けたあと……
真っすぐに彼女を見て、骸はそう言った。


――六道くんのこんな表情は、初めて見た気がする。

は、彼が心から真面目に話してくれているのだと
感覚的に理解した。





「あんな危険な提案をして、すみませんでした。
 大怪我を負わせてしまって、すみませんでした」


――あなたを初めから信じることが出来なくて、
本当にすみませんでした。


まくし立てるように、骸は一気に言葉を発した。

謝罪の言葉が欲しかったわけではなかった彼女は、
どこか複雑そうな表情でその言葉を聴いている。





「それから……」


そんな彼女の様子には、気付いていたものの……

一番大切なことを伝えるために、
一呼吸置いた骸が再び口を開く。










「君の大切な日に……
 痛い思いをさせて、すみませんでした」

「……!」


そうして骸は、最後に深く頭を下げた。










「…………知ってたの?」


驚きのあまり黙り込んでしまった彼女は、
やっとのことでそれだけを口にする。





「……クラスの女子が話しているのを、
 偶然聞いてしまったんです」

「…………そっか」


――ああ、なるほど。
確かに、クラスの友だちには話したことがあった。

私が誕生日に怪我をしたと分かって、
噂でもしてたんだろうな……。

彼女には、おおよその状況が予想できた。










「こうしてどれだけ謝っても、
 僕があなたを傷つけたことは変わらない」


僕は、あなたに怪我をさせただけでなく……

あなたの心も、きっと傷つけた。





「償えることではないと思いますが……
 少しでもあなたの気持ちが明るくなれば、と」


――そう思って、持ってきたんです。


そう言って彼が差し出したのは、
綺麗なコスモスの花束だった。










「すごい……綺麗……!」


――コスモスの花束なんて、初めて見たよ。


彼女はそう言って、嬉しそうに花束を受け取る。

そんな彼女を、それまでの骸を知る人が見たら驚くほど、
彼は穏やかな表情で見つめている。





「ありがとう、六道くん! 
 わざわざ用意してくれたの?」

「綺麗に咲いていたものだから、
 つい採ってきてしまいました」

「えっ……勝手に?」

「一応、了承は得ましたよ」


いったい誰に?

と彼女は思ったが、話の腰を折る気がして
それ以上は追究しなかった。










『〜〜♪』


彼女が怪我をした日の、数日前の朝……
いつもより上機嫌で教室に入ってきて。

その理由は、こちらから聞かずとも彼女から話してきた。





『今日ね、大好きなコスモスが咲いていたんだ。
 河川敷のそばにたくさん咲く場所があって……』



私の、お気に入りの場所なんだよ。










その場所が、あの愚かな提案をした場所だと気付いたのは、
彼女が怪我をした日の翌日……つまり、昨日だった。

ああ、この場所のことだったのか、と骸は思ったのだ。





「あなたの好きな場所に咲いていたものです」

「そうなんだ……」


それだけを言って、彼女は黙り込んだ。
黙ったまま、コスモスに魅入っている。

そんな彼女を、もうしばらく見ていたい気持ちもあったのだが。










「あまり長居するのも良くないでしょうから、僕は帰ります」


そう言って、骸が病室から出ようとしたとき……
彼女が慌てて声をかけてきた。





「どうしました?」

「あ、あの……ありがとう、六道くん」


そう言った彼女の笑顔は、再び骸に衝撃を与えた。

一瞬だけ目を見開いて動けなくなった骸だが、
彼女に気づかれる前に気を取り直し……





「……どういたしまして。
 では、失礼しますよ」


なんとかそれだけを言って、今度こそ病室を出た。















「クフフ……」


先ほど受けたあの衝撃は、いったい……






「…………いや。
 僕はもう、きっとその答えを知っている」


いったい何だったのだろうか、だなんて。
白々しい。

それが何なのかは、もうとっくに分かっているくせに。





「けれど、そうですね……」


それはまだ、自分の胸にしまっておこう。
彼女が退院したそのときに、伝えることにして――……


そんなことを考えながら、骸は帰路についた。

















十月七日の懺悔


(謝ろうとしただけなのに 僕はそこで思い知らされた)