ずっと気付かないふりをしていた僕は、
そこで思い知らされたのだ。


彼女の笑顔が、僕に与えたあの衝撃は――……











十一月四日の言葉


















あれから骸は、頻繁にの病室へ足を運んでいた。
そしてその度に、コスモスをいくつか持っていった。

もちろん彼女も喜んでくれたし、
そんな彼女を見る骸も嬉しそうだった。





『退院する日が決まったの。十一月四日だよ』





彼女の話では、確か退院は今日だった。
それを覚えていた骸は、早足に病院へと向かった。















「退院おめでとう、ちゃん」

「よく頑張ったね」


骸が病院に着いたとき、その入り口で。

担当した医師や看護師が、
彼女に声を掛けているところだった。


隣には、彼女の母親も付き添っている。





「ありがとうござました、先生」

「どうも、お世話になりました」


嬉しそうな、ホッとしたような表情で、
二人がお礼の言葉を述べている。





「じゃあ、気をつけて帰りなさいね」

「はい」


もう一度おじぎをすると、
二人は病院と反対の方向に歩き出した。










「……!」


だが、数歩いったところで二人の歩みは止まった。
なぜならば、その先に骸が立っていたからである。










「こんにちは」


このタイミングで骸が登場するとは思っておらず、
彼女はとても驚いた。





「退院おめでとうございます」


――少しだけ、話をしたくて。





「……お母さん」


骸の言葉で、彼女は母親に視線を投げかけた。
それを受けた母親は黙ったまま頷く。





、お母さんは先に行ってるわ。
 帰りは、送って頂けるようお願いしなさい」

「うん……ありがとう、お母さん」


骸に向かって一礼した後、母親は立ち去っていった。










「ああ、すみません。
 少しお時間を頂ければ、それで良かったのですが」


どうやら、いらぬ気を遣わせてしまったようだ。
そう思った骸の口からは、素直に謝罪の言葉が出た。


――六道くんが、こんな風にお礼を言うだなんて。

は少しおかしくなって、くすりと笑った。





「……どうかしましたか?」

「ううん、何でもないの」


どうやら彼は、気付いていないらしい。
自分に起こっている大きな、しかしとてもよい変化に。










「私のお母さんは、色々と感じ取れる人なの。
 だから今も、何か感じ取ったんじゃないかな」


その上で、この場を去ったんだと思う。

彼女はそう続けた。





「……そうですか」


――ああ、なるほど。

あの母親だから、彼女もこうなのだ。

おそらく、あの人もまた……
「普通の人間」ではないのだろう。





「ねぇ、六道くん。
 寄っていきたい所があるんだけど、いいかな?」


彼女が唐突に言う。





「ええ、もちろんです」


骸は、彼女の申し出に二つ返事で答えた。



















「あなたは、本当にこの場所が好きですね」


彼女が寄りたい、と言ったのは、コスモスが咲く例の場所だった。





「枯れる前に、もう一度来たかったの」


たぶんもう、枯れてきちゃうかなと思って。

彼女は、少し寂しそうに言った。





「コスモスの季節は、もう終わりだね……」


きっとすぐに、冬がやって来る。





「…………」


彼女の寂しそうな顔を見て、骸は思った。


――伝えなければ。

あのとき気づいた、自分の想いを。










「少し……聞いてもらえますか?」


その言葉で、彼女は骸のほうに向き直った。





「うん、もちろん」


――六道くんの纏う空気が、今までとは違う。

彼女はそう思って、静かに彼の言葉を待った。










「僕は……あなたのことが好き、なんです」


今まであったことを、聞かせてくれるんだろうな……
そう思っていた彼女の予想を、骸は遙かに超えていて。

予想外の言葉で、彼女は驚きのあまりぽかんとしている。




「……クフフ」


彼女のそんな表情を見て愛おしく思った骸だが、
今は言葉を続けることに集中することにした。










「このコスモスは、じき枯れてしまい……
 今年はもう見れなくなるでしょう」


けれど、消えてなくなってしまうわけではない。
来年の秋になればきっと、また綺麗な花を咲かせてくれる。





「僕は、来年もまた……
 ここであなたと、コスモスを見たい」


――だから、僕の隣に居てくれませんか。

骸はそう続けた。










「え、あの……」


彼女は、どう答えていいのか分からなかった。

何か言おうとして口を開いては、何も言えずに黙り込む。
そんなことを、数回繰り返した。


そんな彼女を見て、骸は苦笑を漏らす。





「突然こんなことを言ってしまって、すみません」


自分の言葉で、彼女が困っている……

困らせたいわけではなかった骸は、
すぐに謝罪の言葉を口にした。






「え、あ、あの!
 私のほうこそ何も言わないで……ごめん、なさい」


きっと彼女は、言いたいことがまとまらないだけなのだ。
骸にも、それは分かっている。

それでも彼女は、このままではいけないと
そう思ってくれたのだろう。

まだ少し慌てている様子だが、
先ほどと少しだけ纏う空気が変わった気がした。











「そ、その……好きって言ってくれて……嬉しい、と思う。
 でも、私は、その……」


六道くんことが好きなのかは、まだ分からない。

は、続けてそう言った。





「な、なんて言えばいいのかな……
 そういうの、考えたことなかったというか……」


必死に言葉を探しているのだろう。

骸が傷つかないような、
それでいて自分の心がよく伝わる言葉を。





「でも、」


そこでいったん区切り、彼女は続ける。





「私もまた、六道くんと一緒に……
 ここでコスモスを見たい」


来年も、その次の年も。










「……そう、ですか」


彼女はまだ、自分の気持ちを自ら探っている状態なのだ。
明確な答えを期待しても、仕方がないだろう。

それに、骸にとっては今の言葉だけで十分だった。










「そろそろ帰りましょうか。
 日も傾いてきましたから」

「う、うん」


まだ何か言いたそうな彼女だが、
どうやら今も言葉を探している最中のようで。

結局何も口にしないまま、骸の後に従った。














彼女の家の前まで来たところで、骸は言う。





「また明日、学校で会いましょう……さん」

「……!」


名前を呼んでくれたことなんて、
今まで何度あっただろうか。

……いや、もしかすると全く無かったのかもしれない。





「うん……また明日ね、骸くん」


彼女の口からも、自然に骸の名前が出てきた。

それを聞いた骸は少しだけ笑い、
彼女に背を向けて歩き出した。









『私もまた、六道くんと一緒に……
 ここでコスモスを見たい』






「……クフフ」


来年が、楽しみですね。




















十一月四日の言葉


(今の僕には それだけで十分だから)