年が明け、心地よかった春も過ぎ去り……
ここのところ、気温の高い日も多くなっていた。
そして、今日――6月9日は、骸の誕生日だった。
「骸くん!」
廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
周りにいる人間の中で、自分をそう呼ぶのはたった一人。
だから、誰に声を掛けられたのかはすぐに分かった。
「さん」
振り返ると、予想通り彼女の姿がある。
走ってここまでやって来たのか、少し息が乱れている。
「どうかしたんですか、そんなに慌てて」
何かあったのではないかと、骸は不安になった。
――彼女と出逢ったばかりの頃の自分からしてみれば、
このように他人の心配をするだなんて、ありえないこと。
だが、今の骸にとって彼女――は絶対の存在。
そんな彼女を心配するのは、当然のことだった。
「あ、あのね……
今日の放課後、ちょっと寄り道してもいいかな?」
「ええ、それは構いませんが」
二人は、学校が終わると毎日一緒に帰っていた。
どちらかがそうしようと言ったわけではなく、
ただなんとなく、そうするのが日課になっていて。
だから彼女は、寄り道の件について骸に確認してきたのだ。
「…………」
しかし、そんなことを聞くために、こんなに慌てて……?
そう思ったのが顔に出ていたのか、彼女は少し笑って続ける。
「骸くんも何か予定入れちゃったら大変だから、
急いで聞いたほうがいいかと思って」
今朝教室で聞けば良かったんだけど、
骸くんとおしゃべりしてるうちに忘れちゃったの。
今度は苦笑を浮かべて、そう言った。
「……そうだったんですか」
ですが、僕はあなたとの時間を優先しています。
「だから、そんな心配は無用ですよ」
骸のその言葉に、彼女は顔を赤くするものの……
今度は綺麗な笑みを浮かべ、「ありがとう」と答えた。
――放課後。
二人は、いつものように共に学校を出た。
「ところでさん……」
寄り道したいと言っていましたが、一体どこへ寄るんですか?
「うーん……秘密、かな」
少し考えた後で、彼女はそんな風に答えた。
どうやら、まだ教えたくないらしい。
「そうですか……では、楽しみにしていましょう」
「うん」
骸も彼女のそんな思いを汲み取ったのだろう、
それ以上の追究は控えた。
二人はしばらく談笑しながら、
いつもの帰り道を辿っていたが……
「ね、骸くん」
しばらくして、ふと彼女が骸の名を呼んだ。
何かと思った骸は、黙って彼女の言葉を待つ。
「ここ、今日は真っすぐ行きたいんだけどいいかな?」
いつもは、ここを右に曲がってゆく二人。
――そうか、これが例の「寄り道」ですね。
「ええ、いいですよ」
それが分かった骸は、二つ返事で答えた。
「あのね、この間たまたまこの先の道を通ったんだ」
彼女が楽しそうに話し出す。
そんな彼女を見る骸も、自然と微笑んでいた。
「そしたらね、すごくいい場所を見つけて」
今日はそこに案内したいのだという。
「私一人だけが知ってても、もったいないから」
だから、骸にも教えたい。
そんな彼女の言葉で、骸は満たされるような心地だった。
――こんな想いを抱くようになったのは……
他でもない、あなたが居たからですね。
骸は少し、自分の過去を思い出した。
「……骸くん?」
「ああ、すみません。何でしょう?」
「ううん、別に何っていうわけではないんだけど……
様子がおかしいから、具合でも悪いのかなって」
そう言って、心配そうに骸を見つめる。
「……すみません、心配をかけてしまって」
彼女の気遣いを嬉しいと思いつつ、骸は続ける。
「ただ、少しだけ……昔を思い出していたんです」
「昔って……」
「あなたと出逢うよりも、もっと昔の話ですよ」
あの頃は、とにかくマフィアが……人間が憎くて。
信じられる要素も、一つもない。
この世に、希望など全く持っていなかった。
『六道くんは……
どうして周りと関わろうとしないの?』
遠慮なくこちらに踏み込んでくる、
ただのお節介だと思っていた。
……もちろん今でも、マフィアが憎いことは変わらない。
自分の目的を果たしたいという思いもある。
だが……
自分の心には、それ以外のものが存在しているのも事実で。
骸をそんな風に変えたのは、他でもないだった。
それを、骸自身よく理解していた。
「骸くん……」
その複雑そうな表情を見て、彼女はつぶやいた。
そして、少し間を空けて……真っすぐに骸を見て言う。
「私は、骸くんが今までどうやって過ごしてきたのか、
ずっと聞きたかった」
本当は、最初に河川敷で話したときから聞きたかったの。
あなたが、作り物のような笑顔を見せるのには……
人を信じないのには、何か理由があるのだと思ったから。
「でも、なんとなく聞きづらくて……
今もずっと気になってるけど、私はまだ聞けないでいる」
あなたが話したくない内容だということも、
なんとなく分かっている。
「……だから、私からは聞かない。
でも、私にも話せる日が来たら聞かせてほしいの」
あなたの背負っているものを、
少しでいいから私にも分けてほしい。
一人では重たくても、二人なら大丈夫だよ。
「さん……」
彼女の言葉に、骸はどう答えようか躊躇ったが。
誤魔化せる相手ではないことを、すぐに思い出す。
「……分かりました。
話せるときが来たら、あなたに話しましょう」
「うん……ありがとう」
正直なとろこ、本当は話したくない。
話せばきっと、優しいあなたには重荷にしかならない。
けれど、やはり……いつかは知ってほしいとも思う。
こんな僕に、真摯に向き合ってくれたあなただから。
あなたになら、いつか話せるような気がするんです……
「骸くん、見て!」
考え込んでいたとき、彼女に呼ばれ目線を上げると。
綺麗な夕陽が沈もうとしているところだった。
「私、たまたまこの夕陽を見たとき、
骸くんにも見てほしいって思ったの」
――今日は、あなたの生まれた日だから。
「さん……」
まさか、自分の生まれた日を彼女が覚えていたとは。
確かに聞かれたことはあったが、
それは半年も前のことだったのに。
だが、そんなことは今さらな話だ。
彼女は普通ではないし、それに……
いつも僕の予想を遙かに超えてくるのだから。
「ね、すごく綺麗でしょ?」
笑顔でそう言って、その夕陽を指差す。
そんな彼女に、骸も答えた。
「ええ……とても、綺麗ですね」
あなたも、夕陽も。
六月九日の祝い
(あなたと居るこの瞬間が 何よりも尊いと思った)