「花梨ちゃん、大丈夫?」
「は、はい……」
急いで走ってきたからか、花梨ちゃんは息を切らしていた。
……まあ、あたしも本当は運動関係が苦手なわけだけど、
牡丹の姫の力なのか、走り回ることにもそれほど抵抗を感じない。
「神子殿、殿……勝真があそこにおります」
頼忠さんの示す方を見ると、
どこか苦しそうな勝真さんの姿があった。
「勝真さん、どうしたんですか!?」
いったい何が……。
そう思いながら勝真さんのそばに駆け寄ろうとすると、
大きな声で「近づくな」と言われてしまった。
「お前らは俺の敵だ、だから倒す!」
「勝真さん、やめて、どうしたの!?」
勝真さんらしからぬ発言に、花梨ちゃんがまた驚いている。
一方の頼忠さんはただ冷静に、
後ろに下がるようにと再び花梨ちゃんに言った。
「だめだよ、頼忠さん! 勝真さんは、勝真さんは……」
勝真さんの方を見ると、今まさに術を打とうというところだったけれど、
本当に打つところまではいっていない。
……たぶん、勝真さんは何かの力に支配されているんだ。
けど、今、必死に抵抗してる……。
けど、いくら勝真さんとはいえ、ずっと抵抗し続けるのも難しいと思う。
いつ術を打ってきてもおかしくないだろう。
それが解っていながらも、一歩、また一歩と、
あたしは勝真さんに近づいた。
「、……俺は……!」
「……いいよ、勝真さん」
「……!」
勝真さんが、目を見開いていた。
口には出していないけど、花梨ちゃんや頼忠さんからも
驚いているような雰囲気が伝わってくる。
「いいよ、打っても。
でも、あたしは絶対に避けるから」
あたしには絶対、あなたの攻撃は当たらないから。
……もしあたしたちに攻撃を当ててしまって、傷ついたりしたら、
きっとこの人も――この人の心も、傷ついてしまうだろう。
だから、もし術を打ってきても、あたしは絶対に避ける。
絶対に、当たらないよ。
「……
やめさせてくれ、俺は……!」
「ええい、さっさとおし!
牡丹の姫もああ言ってくれてるんだ、
思い切り打ってやればいいじゃないか」
「やめろ……!!」
あれは……!
「シリン!」
あたしが言う前に、花梨ちゃんが叫んだ。
「案外、結束が固いねぇ。
この坊やが、こんなにしぶとく抵抗するとは思わなかったよ。
何度も何度も弱い術を幾重にもかけてやったのに、なかなか頑張るね」
ってことは、最近勝真さんの前に姿を現していたのも……。
『わずかな量の毒でも、数を浴びれば猛毒となる』
アクラムが言っていたのは、このことだったんだ……。
「さ、これで最後だ。
アクラム様から頂いた力は、操りの術を強めてくれた。
札を手に入れて、もっと強い力をアクラム様のために手に入れるんだよ。
さあ、次は外さないよ。抵抗したって無駄さ!」
「やめてシリン、ひどいことをしないで!」
勝真さんの様子がおかしい原因が解ったと言っても、
まだシリンの術にかかったまま。
いつ術を打ってくるか解らない状況は、変わっていなかった。
だったら……。
「……頼忠さん、花梨ちゃんを連れてこの場を離れてください」
「殿、」
「牡丹の姫は戦向きなんです。
あたしは、術を打たれても絶対に避けますから」
だから、いったん引いてください。
そう言ったあたしに対し、頼忠さんは首を横に振る。
「それは出来ません。
案じて頂くのは、大変ありがたいのですが……」
神子殿とあなたは勝真を信じていて、だからこそ惑われている。
あなた方は、勝真を仲間だと言った。そして、信じている。
だから、その勝真を置いて退却することは出来ません、
と、頼忠さんは続けた。
「でも、それじゃあ頼忠さんが……」
「私は――信じるということが、本当はよく解らない。
でも……私も、あなた方のように勝真を信じてみようと思います」
「頼忠さん……勝真さん……」
「……俺は、仲間を信じたい。
――だから、やめさせてくれ、この腕が術を放つ前に……!!」
――他でもないを、
この手で傷つけることだけはしたくないんだ……!――
直後、鈴の音が聞こえ、辺りが一瞬光に包まれて。
術が解けてしまった、とシリンが騒ぎ出す。
「俺の中に……青龍の力が――より強い力が、俺を清める……。
……本当は、信じてなかったのは俺の方なんだろう。
頼忠を信じ、共に花梨やを守り、心から受け入れることを……。
だが、今は違う。俺は――仲間を信じる。そして、花梨を、を信じる」
「そうだ……
信じるということを教えてくださった神子殿や殿を、共に守る……」
――そしてまた、鈴の音が聞こえる。
「『失うことを恐れぬ』神子殿のその勇気、
この頼忠が必ずお守りいたします」
「行くぜ、頼忠。この償い、たっぷりとさせてやる!」
「承知した。
神子殿に対する数々の侮辱、ここで後悔するがいい」
「あんな風に、人を操るために力があるんじゃない!
札は、渡さない!」
「あたしたちは……あなたに負けないよ」
あたしたちがシリンを見据え、戦闘態勢に入ったとき。
祠から光が溢れ出し、東の札が現れた。
そして降三世明王はあたしたちの絆を認めてくれて、
札に宿る力を解放してくれるという。
「私からの言葉を、天地の青龍に託しましょう。
その力は心の絆、見事ふるいなさい。猛き力を――」
「アクラム様のため、札は渡さない!
許さないよ! お前たちを倒して、その札、奪う!」
でも、あなたはアクラムのためには動いていない。
実際は、千歳のために動いている。
あなたはそれを、ちゃんと自覚しなくちゃいけない……。
「きっとこの祠を守り、京の結界を崩させやしない」
そうして、再び戦闘態勢に入ったあたしたちは、
シリンの操る怨霊に立ち向かっていった。
「やった……怨霊を封じることが出来たんだ」
花梨ちゃんがそうつぶやいた直後、前にも聞いたことのある
あの何かが割れるような音がした。
また一つ、要の枷が外れたという。
これで残るは北の札だけとなった。
「――終わった……」
「シリン……」
シリンは哀しいような、淋しいような顔をして言う。
アクラムが何の力も貸してくれないこと、
そして自分が千歳のために動いていたこと……
本当は全て解っていたのだと。
「くっ……うっ、ああっ!
呪詛返しが……もう、耐え切れない……このまま消えてしまう……
アクラム様、お助けください!」
「シリン!」
このままじゃシリンは消えてしまう?
……確かに彼女のしたことは許されることじゃない。
あたしだって正直言えば、憎らしくも思う。
けど……。
花梨ちゃんも同じようなことを思っていたのか、
あたしの方を見て、頷いてくれた。
「シリンだけが悪いんじゃない。
出来れば助けたい……お願い、龍神様!」
「お願い……あたしの力も使って!」
「「彼女を滅ぼさせないで!」」
あたしたちが叫んだ直後、また鈴の音が聞こえ、辺りが光に包まれた。
そしてシリンの呪詛返しは祓われ、彼女は消えずに済んだのだ。
「呪詛返しが……祓われた!?
あんたたちの仕業だね、龍神の神子! 牡丹の姫!
まさか……敵の情けにすがることになるなんてね……。
もう、あたしを笑い者にするのは、あたしに構うのは、よしとくれ」
「シリンっ! どこに行くの?
彼女をこのまま行かせていいんでしょうか……」
「うん、何か声を……」
あたしがそう言うと……
頼忠さんが「主を失った者にかける言葉はありません」
と言いながらも、シリンを呼び止める。
「どれほどの苦しみを背負っても、
人は生きる場所を探すことが出来るかもしれない」
「違う人生を歩き始めるのは……だめかな」
「あ、それいいね!
今からでも、全然遅くないよ」
あたしたちの言葉を聞いたシリンは、ため息をつく。
「――全く……
こんなお人好しに、あたしは負けたのかい……」
だけど、あたしたちがどんなに頑張って怨霊や穢れを祓っても、
彰紋くんの秘密が解決しない限り京に混乱は残る、とシリンは続けた。
「あの東宮は、どうして和仁の奴のことをかばうんだろうね……」
「彰紋くんが和仁さんをかばってるって、どういうこと??」
彰紋くんがあたしたちに言えないでいることと、
関係あるのかな……。
「それは、あんたたちが東宮に聞きなよ。
さぁ、お人好しはさっさと帰りな。
京を救うも滅ぼすも、好きにしたらいい。
……違う人生、か。今まで考えたこともなかったよ」
「シリン……。
――私たちも、帰りましょう」
「……そうだね」
そうして帰ろうとしたあたしたちの前に、深苑が現れた。
勝真さんは館へ帰って紫姫の前で言いたいことを言えと伝えるが、
深苑はまだ帰れないと言う。
「神子、姫、ここから京を見てみよ。お主らには見えるか?」
「何のことを言ってるの? 何も見えないよ」
「…………」
あたしが何も返さなかったのを、「見えない」という答えだと思ったらしい。
深苑は、お主らにはこの京の絶望が見えない、絶望は集まり力を持つ。
それは滅びへの歩み――破壊へ続く道を作る、と、よく解らないことを言った。
「京の絶望の気が、動き出している。お主がそれを選んだのだ」
「『絶望』って何? 何が『滅びへの歩み』なの?」
「ちゃんと説明してよ、深苑」
だけど、絶望が見えないあたしたちには、これ以上の説明は無用だという。
そして、いくら怨霊を祓おうとも絶望は消えないから、
これ以上千歳の邪魔をするなと言い残していった。
「深苑くん……」
……まだ、問題は山積みだと、改めて思った。
あの後あたしたちは館へ戻り、東の札を無事に手に入れたこと、
そして深苑と話したことを報告した。
「兄妹だからって、簡単に解り合えるもんじゃないが……
俺に出来る限りの協力はするぜ、紫姫」
「あたしも出来ることはするからね!」
「私も、紫姫と深苑殿が解り合えると……信じたいと思います」
「疑い深いこいつが信じるんだ。紫姫も信じるんだな」
落ち込む紫姫を元気づけるように、あたしたちは言った。
「皆さま……。
ありがとうございます。きっと皆さまのため、お役に立ちますわ」
「良かった、笑ってくれて」
――残るは、北の札。
降三世明王からのお言葉により、
次は天地の玄武と北山へ行くことになった。
あとひと頑張りだね!