「よう、。
ちゃんと大人しくしてるか」
「勝真さん!」
今日は仕事が休みだという勝真さんが、
出かけた先から帰ってきた。
一日お邸から出られなくてつまらないと言ったあたしに、
何かおいしいものでも買ってきてやると言って出払っていたのだ。
「おかえりなさい!
何かおいしいもの、ありました?」
「ああ、まあな。けど、さっき朝餉が済んだばかりだろ。
今すぐはやめたほうがいいぞ」
「わ、解ってますよ!」
明らかにからかっている口調の勝真さんに、慌てて返した。
それにしても本当に……一日お邸から出られないなんて、退屈だなぁ。
庭に出るのもやめたほうがいいって言うし……。
――今日一日あたしがお邸から出られない理由は、昨日に遡る。
『じゃあ紫姫、あたしも帰るね』
『あ、お待ちくださいませ、様!』
『ん?』
館を出ようとしていたあたしを、紫姫は慌てて引き留める。
『どうかした?』
『ええ、実は……
明日は、様の物忌みの日なのです』
『え?』
物忌みって、花梨ちゃんがときどきやってるあの物忌み……?
『そうですわ。
神子様とは異なり物忌みが全くない様のことが、
私は常々気がかりだったのです』
それで昨日の夜、あたしのことを占ってみてくれたらしい。
『その占いで、明日が様の物忌みだということが解りました』
『え? ということは、あたしも花梨ちゃんみたいに
外出を避けて一日過ごさなきゃならないってこと?』
『はい、そうなりますわね』
そうなんだ……。
確かに今まで物忌みは無かったけれど、
牡丹の姫ってそういうものなんだって勝手に思っていたし……
けどまさか、ここにきて物忌みがあるだなんて。
『今まで物忌みが全くなかったこと、そして明日は忌みだということ…
不可解なことは色々とありますが…とにかく、様。
明日は、一日お邸でお過ごしくださいませ』
『う、うん……解った』
なんとなく紫姫に凄みを感じてしまい、
あたしは素直に返事をするしかなかった。
……と、そんなやり取りを受けて、
あたしはこうしてお邸で大人しくせざるを得ない状況になっていたのだった。
「それにしても……
本当に、ただじっとしているだけって暇だしもどかしいですね。
時間がもったいない気がします」
けど、勝真さんは「一日や二日、どうってことない」となんでもない風に言う。
……まあ、確かに長い目で見ればそうなんだけど。
「それよりお前、もっと自分のことに気をつけろよ」
「気を付ける?」
よく解っていないあたしに、勝真さんは丁寧に説明してくれる。
「京の五行の気の力は、花梨が穢れを祓ったことで、
前よりかなり強くなっている。
だからお前も、物忌みの日の影響を受けやすくなっているはずだ」
さらに今まで全く物忌みが無かった分、殊更かもしれない、と続ける。
「京を巡る気の流れは、俺たちがどうこう出来ない強い力だ。
もっと慎重になった方がいい」
あたしたちが扱えるようなものじゃない、強い力……。
「川の流れを考えてみれば解りやすいだろう。
うっかり足を取られて押し流されたら、
最後に何処へ連れていかれるか解らない」
「気の流れも……同じようなものだということですか?」
「ああ」
強い力に飲み込まれて、どうなるか解ったものじゃない。
珍しくも不安そうな顔をしながら、勝真さんは言う。
そのことが、五行の気の力の影響が本当にすごいものだと物語っていた。
「強い力に飲まれてしまうかもしれない、か……」
そういえばアクラムは、
龍神に心を委ねるなって花梨ちゃんに言ったらしいよね。
『神子は不思議に思っていたようだが、お前ならどういうことか解るだろう』
「…………」
それは、たぶん……
龍神の力を使おうと心を委ねれば、
その代償も決して小さくないということだ。
強い力――つまり、龍神の力に飲まれてしまうということだろう。
「どうしたんだ?
何か気にかかることでもあるのかよ?」
「なんでもないんですけど、ただ……
花梨ちゃんが龍神の力を使おうとしたときは、
注意しなきゃならないと思います」
確かにこの世界は救いたい。
大切なこの人が居るこの世界を、あたしは救いたいと思う。
……けど、それで花梨ちゃんが犠牲になってしまうとしたら?
そんなこと、許せない……許せるはず、ないよ。
「きっと、龍神の力もあたしたちが簡単に動かせるものじゃないと思います。
五行の気と同じように」
きっと、それを使うには大きな代償がいるはずだから……。
「…… ……そうだな。
いくら加護を与えてくれてるったって、
それが大きな力であることには変わりない」
何があるか解らないし、注意しておくに越したことはないな。
「けど、お前も龍神の加護を受けてるんだろ?
だったら、お前だって同じように注意しておくべきじゃないのか」
「え? あたし、ですか?」
「ああ」
確かに、牡丹の姫は龍神に選ばれ遣わされるって聞いたけれど……
それは違うと、今は言い切れる。
確証は無いけれど、確信はあった。
牡丹ノ姫ノ力ヲ、全テアナタに授ケマス…………
あたしを牡丹の姫に選び、力を与えてくれているのは、龍神じゃない。
きっと、「あのひと」だ……。
「花梨のことももちろんそうだが…
俺は何より、お前を危険な目に遭わせたくないんだ。
お前を危険にさらすような力だったら、俺は要らない」
たとえ京を守るためだとしても、俺は嫌なんだ。
「勝真さん……」
そんな風に言ってくれるのは、すごく嬉しい。
だけど、たぶん……「あのひと」は、
あたしを追い込んだりはしないと思うんだ。
これも、ただ確信があるだけなんだけれど。
「この先のこと、全く怖くないと言ったら嘘になりますが……
それでもあたしは、それほど怖いとは思っていません」
花梨ちゃん、八葉のみんな……
何より勝真さん、あなたがそばに居てくれるのだから。
「俺が、ずっとお前のそばについていてやる。
お前が消えてしまいそうになったら、俺が取り戻してやるから。
だから、心配しなくていい」
「……はい!」
勝真さんの言葉が嬉しくて思いきり頷いた直後……
もう何度も聴いたことのある、鈴の音がした。
「――っ!」
この力は……!
――とても強い力を感じた直後、あたしの視界から光が消えた。
「ここは……」
気づくと何もない場所に居た。
黒一色に染まっているのに「何もない」と言えたのは、
一点だけ明るく光っていたから。
「あなたは、……」
その一点に、知らない女のひとが居た。
紅い花びらを纏っていて、その花びらには見覚えがある。
「牡丹の、花……」
そう、牡丹の花びらだった。
あたしが術を使うときに舞う、牡丹の花びら……。
「……あたしに加護を与えてくれているのは、あなたですね」
あたしが問いかけると、
そのひとは優しく微笑んで頷いてくれる。
「あの、あたし……勝真さんと今、色々な話をしました。
けど、あなたがあたしをその……犠牲にする、みたいなことは
絶対にしないと思うんです。ただの、勘ですが……」
あたしの言葉を、そのひとは静かに聴いている。
「あたしも龍神の加護を受けている存在であるけれど、そうではない。
言葉にすると矛盾していますが……そういうことですよね」
そこまで言うと、またそのひとは頷いてくれた。
「あたしは、牡丹の姫の力を信じます。
大切なものを守るために使いたい……
だからどうか、最後までこの力を貸してください」
あたしがそこまで言うと、少し間を空けて、
ずっと黙っていたそのひとが口を開いた。
「牡丹の姫……
私があなたを陥れるようなことは、絶対にありません。
安心して、その力を使ってください」
いつも響いてくるものと同じ、透きとおる綺麗な声だ。
「ただ、当代の龍神は……
神子に力を求められたら、与えるのみなのです。
神子には『自身を保つように』と助言したようですが……
龍神自身でさえも、その大きな力を完全に制御できるといえば、
そうではないのです」
つまり、龍神だって神子自身のことを気がかりに思っているけれど、
力を求められたらただ与えるしか出来ないってこと、かな……。
「龍神も、神子を犠牲にする形は取りたくないようです。
ただ、やはり……
神子が自身を保つためには、とても強い心が必要ですので」
だからどうか、神子のことはあなたがよく見ていてあげてください。
「……解りました」
最初は正直散々だったけれど、
今や花梨ちゃんは力をつけ立派な神子となり、
八葉の信頼も得てこうして京のために頑張っている。
彼女が消えてしまったら哀しむ人が、
この世界にも、もうたくさん居るのだ。
「神子は、あたしが守ります……
……牡丹の姫として」
あたしがそう言うと、
目の前のひとは何故か少し哀しそうに笑い、頷く。
「姫……
黒龍の力には、どうか気を付けてください」
そう言ってその人は、少し顔を強張らせた。
「黒龍の力、か……」
確かにそれは未知数だし、
この後の戦いで一体どう関わってくるのか解らない。
もしかしたら危険は少ないかもしれないし、
そうでないかもしれない。
ただ、花梨ちゃんが龍神の力を使おうとしたとき……
そのときには、あたしもよく考えて行動しないといけない。
牡丹の姫として、そして……として。
「どうした、! 大丈夫か!?」
決意を新たにしたとき、ふと声が聞こえた。
「勝真さん…………」
あたしの、大好きなひとの声だ……。
「……もう戻りなさい、姫。
あなたの大切な存在が、あなたを呼んでいます」
優しく微笑んでそう言ってくれたそのひとに頷き返し、
あたしは勝真さんの声がするほうへ歩き出した。
「姫……
その強い絆を、最後まで信じてください。
それがあなたの力となり、
あなたの望む道へ進む術となるはずです……」
そのひとの最後の言葉は、
直接あたしの中に響いてきた気がした。
「……――!!」
「……!」
さっきよりも鮮明に聞こえた勝真さんの声で、はっと気づく。
ゆっくり辺りを見渡してみると、
自分の部屋に戻ってきていたのが解った。
「! どうした、何があったんだ!?
大丈夫なのか……?」
あたしを抱きかかえるようにしていた勝真さんは、
すごく心配しそうな……そしてどこか泣きそうな顔をしていた。
「勝真さん……」
……あたしは大丈夫だから、そんな顔をしないでください。
そう言いながら、あたしは勝真さんの頬にそっと手をそえる。
「大丈夫です……
今ちょっと、あたしに加護を与えてくれているひとと、
少し話をしていただけですから」
ただ少し意識がそっちに行っていただけで、
何も心配することはないから。
「お前に、加護を?
ということは、龍神と……?」
「うーん……
神であることには変わりなさそうですが、ちょっと違います」
あたしの曖昧な言葉に、勝真さんは不思議そうにする。
「全部終わった後に、聞いてもらえませんか?
あたしに、加護を与えてくれているひとのことを」
それまでは、何も聞かないでください。
「……ああ」
あたしの言葉に、
納得がいかない様子を見せながらも頷いてくれた。
「……とにかく、お前はもう少し横になっていろ。
体調に問題が無いとはいえ、今日は物忌みなんだからな」
念のためだ、という勝真さんの言葉を受け、
あたしは大人しく布団の中に入った。
「……
お前のことは、俺が必ず守ってやる。だから、……」
だから、一人で無茶はしないでくれ――……
――勝真さんの、哀しそうな声が聞こえる……。
そう思いながら、あたしは意識を手放した。