「ねぇ、。なんか、僕のこと避けてない?」
「……!」
いきなりのその質問に、思わず身構えてしまったのは言うまでもない。
私立薄桜鬼学園――四時間目 見えない何かが走り出す
それは、総司の恋愛事情について友人たちに話をされた日から
また数日が経過していた日だった。
その日も例のごとく朝から学校に来ていたあたしは、
午後から行われる生徒会活動までの時間を、図書室でつぶしていた。
ここは辞書とか、そういった調べ物に適している本もあるし、
宿題をするにはうってつけ。
そう思い、この場所を選択し、やって来た……
…………それなのに。
宿題を始めてから数分後、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。
それは、今はあまり聞きたくないと思う声だった。
「そ、総司……」
恐る恐る振り返ってみる。
第一に思ったのは、なぜ総司がここにいるのかということだ。
……いや、総司だってこの学園の生徒なのだから、
図書室に居たってなんら不思議は無い。
だが、あたしが言いたいのはそういうことではない。
生徒会活動は午後からなのに、
どうして午前中の時間に、めんどくさがりの総司がここに居るのか。
あたしの疑問は、そこにある。
「やっぱりここだったね」
自分の予想が当たっていたことが嬉しかったのか、
総司は機嫌の良さそうな笑みを浮かべている。
だが、それとは反対にあたしは冷や汗をかいていた。
……いや、待て。なぜ冷や汗をかいている?
なぜ今すぐここから逃げ出したいような気持ちになっている?
そうだ、別に総司と喧嘩したわけではないし、
気まずい何かがあったわけでもない……
……いや、避けていたから気まずいのだろうか。
とにかく、あたしがそこまで焦る理由などない。
頭ではそう考えているのに、身体が言うことをきかない。
冷や汗は今もだらだらと流れ続ける。
冷房がガンガンかかっている部屋だというのに、矛盾している。
「僕、に聞きたいことがあってさ。ちょっと、来てくれる?」
「え、あ……ここじゃダメ、なの?」
あたしの本能が伝えていた。
他の誰かが居るところなら、何とかごまかせる。
だが、総司と二人になったら、二人で話をし始めたら、
この男にごまかしなど効かない。
勝敗は完全に見えている。
だから、苦し紛れに聞いてみたのだ。
ここではダメなのか、と。
「うん、ダメ」
即答、だった。
図書室で総司に捕まったあたしは、生徒会室まで来ていた。
まだ午前中である今、もちろんそこには誰も居ない。
「あ、あの、総司……聞きたいことって、何……?」
あたしはそこまで短気なわけではないが、
いつまでも続きそうな沈黙を待っていられるほど、気が長いわけでもない。
自分から相手の策に溺れている感があるような気もしたが、
思い切って聞いてみることにした。
「うん……数日前から思ってたんだけどさ」
意味深な視線を向け、総司は続ける。
「ねぇ、。なんか、僕のこと避けてない?」
「……!」
いきなりのその質問に、あたしは思わず身構えてしまった。
「さ、避けてるって、どの辺が……?」
こんなことを言ったら、総司のことだ。
“避けている”と思える理由になることを、どんどん挙げてくるに違いない。
それでも、他に言うことが思いつかなくて、口にしてしまった。
…………やっぱり、この男の策に溺れている気がする。
「まず、僕と話しているときに僕と目を合わせない」
「…………」
「今もだよ」
総司の攻撃が始まった。
「声をかけると、無駄に驚く」
「…………」
「僕と二人になると、落ち着かない。何か話し出すと、必ずどもる」
「…………」
その後も、総司は攻撃の手を緩めなかった……
…………そして。
「……で? なんで僕を避けてるの?」
この状態で“避けてない”だなんて言ったら、
きっと総司は物凄い邪悪なオーラを出して笑うに違いない。
総司が本当に怒っているときは、顔には出さない。
逆に凍りついたような笑みを浮かべるのだ。
あの顔を見るのはごめんだし、一方的に避けていたあたしの方に、非はある。
だから、素直に事情を話すことにした。
「その……あたしの友達の、情報通の子たち、いるでしょう?」
「あぁ、あの二人? うん、知ってる」
意外にも総司が大人しく話を聞いてくれそうなので、
あたしはそのまま詳しく話していった。
「…………――それで、総司が今年は
“好きな子が居るからダメ”って答えたって聞いて。
総司に、好きな人が居たんだなぁ、って思ってさ……」
さすがに、友人たちの突拍子もない仮説は伏せておいた。
「ふーん…………」
あたしの話を一通り聞き終えた総司は、何やら考え込んでしまった。
…………最後の判決を、下そうというのか。
勝手な事情で自分を避けていたあたしに、
どんな罰を与えるのか考えているに違いない。
色々と混乱しているあたしの頭では、
そんな物騒な考えしか浮かんでこなかった。
「ねぇ、」
来た。
だが、次に続いた言葉は、諦めていたあたしが考えてもいないものだった。
「は、その話を聞いてどう思った?」
「え……?」
どう思った、って……?
「どうやら僕に好きな人が居るらしい、って知ったんでしょ?」
「う、うん……」
「僕に好きな人が居ると知って、どう思ったの?」
「え、えーと……」
どう思った、と聞かれても正直困る。
だが、そんなことを言えばあの凍るような笑顔に出遭ってしまうことは
目に見えている。それを避けるためならば、きちんと答えるしかない。
そもそも、始めはそこまで信じていなかったのに。
総司自身が、“居る”と言い切っているからには真実なのだろうか……。
質問に答えなければいけないのに、あたしはそっちの方が気になった。
…………でも、そうか。
やっぱり、総司には好きな人がいるのか……。
「どう思ったの?」
あたしがなかなか答えないせいか、総司が再び問いかけてくる。
「その……初めはそんなに信じてなくて」
「うん」
「だから、本当なのか少しだけ気になった」
「そう」
ぽつりぽつり話し出したあたしの言葉を、
総司は頷きながらしっかり聞いてくれている。
「総司の好きな人かぁ……って、考え出した」
「うん」
彼女たちが、それがあたしだと言ったときは、嘘だと思った。
でも、あの二人の情報は確かなものだし、
今まで立ててきたいくつもの仮説も、どれも正しかった。
だから、今回の仮説も正しかったら……。
どうしよう、と思った。
だけど、別に嫌な感じの“どうしよう”じゃない。
もっと他の、違う感情の“どうしよう”な気がする……。
「今、総司は……“好きな人が居る”って断言したよね」
「そうだね」
「それを聞いたら、今度はその人が誰なのか少し気になった」
「少し?」
「うん……少し」
すごく気になる……とも、言えない。
だけど、全く気にならないと言ったら嘘になる。
だから、“少し”と答えた。
……だが、自分で言うのもおかしいのだろうけれど、
あたしがここまで総司を気にしたことなんて、一度も無かった。
気の合う仲間という感じで一緒に過ごしてきたし、
こんな話題で話をしたことなんて、本当に一度もありはしなかったから。
あたしの答えを聞いた総司はというと、しばし考え込んでいた。
そして、ようやく口を開いた。
「…………ん〜、まぁ、そのくらい言ってもらえればいいか」
そうつぶやいた総司は、また満足そうに笑った。
それは、図書室で見たものよりも優しく、どこかあたたかいものだった。
「…………」
「……?」
「え? あ、……」
総司に声を掛けられるまで、全く気付かなかった。
あたしは、総司の優しくてあたたかい笑みに、見とれていたのだ。
『沖田くんが好きなのは、なんじゃないかって、
そういう仮説を立てたのよ!』
そのとき、その仮説は別の形で覆されるような予感がした。
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