酒屋に討ち入りして以降、
私はもう刀を握っているときに揺らぐことはなかった。
修行の成果が出ていると、原田組長や藤堂組長は褒めてくれた。
副長も、修行は無駄じゃなかったな、と言ってくれた。
「なんか前と別人って感じだよな」
「そうだな。刀を握ってるときなんか、感情が一切感じられない」
「は文字通り、『無』になっているのだろう」
斎藤組長の言葉に、私は今さらながら理解した。
私が修行で得たのは、心を無にすることだと。
だからもう、討ち入りの際にも揺らいだりしなくなったのだと。
『…………ここまでか』
あのとき掴んだのは、そういうことだったのだ。
改めてそれを実感することで、私はやはり修行に出て良かったと思った。
「…………、ちょっといいか」
「はい」
藤堂組長たちと話していたところに、永倉組長がやって来た。
何やら神妙な面持ちをしている。
「何だよ新八っつぁん、そんな怖い顔して」
「また金を全部使っちまったとか、そんなんじゃねぇのか?」
茶化すようにそう言った藤堂組長と原田組長だったが、
永倉組長は一切表情を崩さない。
「こっちに来てくれ」
「承知しました」
そんな永倉組長のあとを、私はただ黙ってついていく。
「新八の奴、どうしたんだ?」
「様子がおかしいようだが……」
背中の方から、原田組長と斎藤組長のそんな会話が聞こえていた。
「組長……どうかされましたか」
永倉組長の様子は、ただ事ではない。
それを理解した私は、そう切り出した。
「お前……どうしたんだ?」
「え……?」
その言葉は、唐突だった。
私は意味が解らず、言葉の続きを待つ。
「お前、修行に出て戻ってきてから……何か変だろ」
「変、とは……」
どういうことだろうか。
私の、どこがおかしいというのだろうか。
「浪士を斬っているとき、お前の表情からは何も感じられねぇ。
よく言えば、それは集中してるってことなんだろうが……」
だが、と永倉組長は続ける。
「以前のお前は、そんなんじゃなかった」
もっと、表情に出ていた。
「確かに攘夷浪士は俺たちの敵だ。
新選組として、俺たちは奴らの倒幕を阻止しなきゃなんねぇ」
「…………」
「だが、以前のお前は違った」
奴らが敵だとしても、「人」であるのには変わりない。
「だから、浪士を斬っているときも苦しそうだった。
隠しているつもりだったかもしんねぇけどな……俺には解ったよ」
「組長……」
そう、だったのだろうか。
人を斬ることがつらいのだと、私は心のどこかで感じていたのか。
それを、必死に隠していたのか……。
自分でも自覚していなかったことを言われ、私は考え込んだ。
「確かにその苦しみは迷いに繋がる危険もある。
戦場で迷いは禁物だ。それは死を意味する」
「……はい」
その通りだ。
迷いとは、心が揺らぐこと。
心が揺らいでは、逆に自分が斬られてしまう。
現に私は斬られそうになって、組長に……。
「だが、俺はお前のそんなところがいいと思ってた。
人の命の重みを、理解してるってことだからな」
人の命の、重み…………。
「それが今はどうだ。
修行してきてから、確かに強くなったように見えるが……」
それはただ、前まで抱えていた苦しみがなくなっただけだ。
「そうして迷いに繋がるものが、なくなっただけだ。
だから、容赦なく人を切れるようになった」
それは、心が揺らがなくなったということ……。
「普段も心から笑っている感じがしなくなった。
けど、それじゃお前らしくねぇって思うんだよ……
お前は、もっと優しい奴なんだ。俺は知ってる」
「永倉、組長…………」
私が……優しい?
「組長、私は……」
私は……
「私は優しくなど、ありません……」
私は、優しくなどない。
「私は、いつも自分のことばかり考えています。
新選組に入ったのも、自分のやりたいことをやり遂げるため」
そう、あなたを守りたいから……
ただ、私がそうしたかったから。
恩を……返したかったから。
別に、頼まれてもいないのに。
私がそうしたかったから、この京までやって来て
そして新選組に入りたいと言った。
「此度の修行も、自分がそうしたかったからです。
私はいつも、自分のことしか考えていないのです、だから……」
だから、優しくなどはない。決して。
「…………そんなことねぇよ」
「組長……?」
永倉組長の声が、少し低くなった気がした。
「自分の損得しか考えねぇ奴が、一生懸命剣の稽古をしようとするか?
同じ女の子である千鶴ちゃんの、力になってやったりするか?」
「そ、れは……」
『さん!』
千鶴には……きっとこの男所帯での暮らしは大変だろうからと、そう思って。
力になってやりたかった。
「何だかんだで平助や俺の下らねぇ話にも付き合ってくれるし、
左之の酒の相手もする」
それって、十分優しいだろ。
そう言った組長に、私は何も言えなかった。
そんな私に、少し間を空けて組長は言う。
「だから、なんだ……
色々言っちまったけど、俺が言いたかったのは、だな」
「……はい」
「俺は、前のお前の方がいいってことだよ」
「前の、私……」
それは、どういう…………。
「本当は人斬り自体やってほしくねぇんだけど……」
「え?」
「いや、何でもない」
永倉組長……?
「あー……その、突然悪かった。じゃあな」
最後にそう言って、永倉組長は足早に立ち去ってしまった。
『俺は、前のお前の方がいいってことだよ』
前の、私…………
「それは、どういうことですか…………」
修行に出る前の、心揺らぐ私のことでしょうか……
「けれど……そうすると、あなたに怪我を負わせてしまう」
それだけは、あってはならない。
私が新選組に入ったのは、あなたを守るためだから。
でも……。
「永倉組長…………」
組長は……
組長の言っていることは……どういうこと…………?
私の考えはまとまることなく、その夜ずっと堂々巡りをしていた。
→第十二話
→戻る