『こんにちはー!』
あれ以降、私は毎日のように試衛館を訪ねるようになった。
……いや、正確に言えば、永倉組長と出会った場所を訪れるようになった。
試衛館からさほど離れていないその場所は、
いつからか私と組長の待ち合わせ場所となっていた。
『おう、!
今日は迷わず来れたみたいだな』
『うん!わたし、もう大人だもの。一人で来れるよ』
『ははっ、よく言うぜ』
そう言いながらも、永倉組長は私の頭をなでてくれた。
その優しくて大きな手が好きだった私は、
頭をなでてもらえることも嬉しく思っていたのだ。
『今日は、お兄ちゃんお願いがあるんだ』
『お願い?』
『うん……』
「あれは『試衛館道場』と言って、みんなで剣を学ぶところなの」
お母様の言葉を、私は覚えていた。
だから、思い切って組長にお願いしてみることにした。
『わたしに、剣を教えてほしいの』
『剣を……?』
なんでだ、と組長は問いかける。
そんな彼に私も答えた。
『最近泥棒がいっぱいいるでしょ?
だから、強くなってお母さまをまもりたいの』
ちょうどその頃、自宅の近くで泥棒が頻繁に出没していた。
それを不安に思った私は、自分が強くなってお母様を護ろうとしたのだ。
……そのとき、既にお父様は亡くなっていたから。
余計にそう思ったのだろう。
『そう、か……あんま本格的にやると危ねぇだろうが、
まあ、護身術程度なら……』
私の言葉を受け、組長はうつむいて何かつぶやく。
そうして、私を見て言った。
『よし!じゃあ、特別にこの俺様が剣を教えてやるぜ!』
『やった!』
そうして、私と永倉組長の剣術修行が始まった。
『いいか、基本的な構えはこうだ』
『こう?』
『腕はもう少し下だな』
『う、うん!』
なかなか覚えられない私にも、組長は根気強く教えてくれた。
自分の稽古もあったはずなのに、
それでも私が一つ一つ覚えるまで稽古をつけてくれたのだ。
『じゃあ、今日は実践してみるか。 俺が相手になるから、打ってこい』
『う、うん……よろしくお願いします!』
そしてその日から、私は永倉組長相手に実践練習を行った。
初めこそ覚束なかった竹刀の扱いにも徐々に慣れていき、
一通りは応戦できるようになった。
『っと、まあ、これくらい出来りゃ上出来だな』
『本当?』
『ああ、本当だ』
『やった!』
組長のその言葉が、とても嬉しかった。
これで、万が一のときもお母様を護れる。
私は達成感に満ち溢れていた。
『日が傾いてきたな……お前はそろそろ帰る時間か?』
『うん、もう帰らなきゃお母さまが心配するから』
『そっか、気をつけて帰れよ』
『うん、またね!』
そう言った私に向かって、組長も「またな」と返してくれた。
――それから、十年あまりの月日が流れた。
「このくらい出来れば上出来」と永倉組長に言われた私だったが、
その後も欠かさず永倉組長のもとを訪れた。
そして、飽きることなく剣を教えてもらっていたのだ。
『こんにちは、お兄ちゃん』
『おう、。待ってたぜ』
今日も鍛えてやるぞ、と、
永倉組長はやる気に満ち溢れている様子。
『もちろん今日もそのつもりですけど……
その前に、お兄ちゃんはもうお昼は済んでいますか?』
『昼?まだ食ってねぇけど』
私の問いに対し、不思議そうにしながら答える組長。
その答えを聞いて、私は良かった、とつぶやく。
『今朝、お母様と一緒にお弁当を作ってきたのです。
良ければ、一緒にいかがですか』
そんな私の言葉に、組長は笑顔で答えてくれた。
『そうだな、じゃあありがたく頂くぜ!』
そう言って、私とお母様で作ったお弁当に手を伸ばす組長。
『お兄ちゃんは、好き嫌いはないのですか?』
『ああ、俺にそんなもんはねぇ。何でも食う!』
『ふふ』
そんな他愛のない会話をしながら、私たちは昼食を済ませた。
そしてふと、疑問に思ったことを私は口にする。
『そういえば……最近ずっと考えていたのですが』
『何だ?』
『この年になってまで「お兄ちゃん」では、少し幼すぎるでしょうか』
私ももう、数年すれば二十歳になる。
そんな年の人間が、血も繋がっていない人を
いつまでも「お兄ちゃん」と呼んでいてよいのだろうか。
そういった考えから、私は永倉組長にそんな話をふった。
『うーん……
まあ俺は気にしねぇけど、お前が気になるんだったら変えてもいいぞ』
『で、ですが、一体どう呼べば……』
困惑する私に、組長は迷うことなく言った。
『普通に「新八」でいいだろ?』
『いいんですか?』
『ああ、別に構わねぇよ』
名前で呼ばせてくれる……
たったそれだけのことだったのに、
何だか信頼してもらえているようで、私は嬉しく思っていた。
『ありがとうございます……新八さん』
『おう!
じゃあ飯も食ったことだし、稽古始めるか!』
『はい!』
そうして私たちは、その日もいつものように稽古を始めたのだった。
――そんなある日。
今日も稽古をつけてもらおうと、私がいつもの場所に向かっていると。
『…………』
いつもとは全く違う、神妙な面持ちをした永倉組長が居た。
『新八さん……?』
控えめに呼んだ私の声は、どうやら届いていない。
『新八さん』
『……!』
今度はその名をはっきり呼んだ。
すると私の声に気付いたのか、驚いてこちらを見る。
『あ、ああ……、来てたのか』
『はい』
明らかに様子がおかしかった。
いつもなら「さっそく稽古始めるぞ!」だとか、
こちらも元気になれるような笑顔で言ってくれるのに。
今日のこの人は、違う。
それが解っていながらも、私は何も言わなかった。
言わなくても……聞かなくても、これから話してくれるのだと解ったから。
『お前に聞いてほしいことがある』
『……はい』
組長は、私の目を真っすぐに見て言った。
だから私も、組長の目を真っすぐに見る。
『俺は……俺たちは、京に行くことになった』
『……何故、ですか』
『浪士組を作るのに、幕府で人を募っててな。
俺たちも、それに参加することになった』
もう江戸には戻らない。
『お前と会えるのも、今日で最後だ』
ああ、どうして。別れは突然にやって来る。
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